1942(昭和17)年 野幌機農学校開校
酪農義塾は、日華事変の影響を受けその継続が困難となってしまいました。
そのような状況下で黒澤氏ら酪農義塾関係者は、3年制甲種農業学校を設置し、特色ある農業教育を実施しようよと考えました。
「教室の代りに、各農場に農具、家畜などを配置し、教師も生徒も農場寮に宿泊。実学教育により品位ある農場魂と農業経営を会得した実力ある指導者の育成を目指す。」
こうして財団法人興農義塾野幌機農学校が、江別市野幌に開校しました。
「機農」の意味は、
単に農業の機械化の意味ではなく、「機は天機の機で、農業は天地人の合作協和によって成り立ち天地の運行によって生ずる」つまり、 農業は天地人の合作調和によって成り立ち、自然の機微を悟り機会を正しくつかむこと、それは体験を通してはじめて会得できる。という意味です。
実学教育を展開するため、1年生は集合寮に、2,3年生はそれぞれの経営農場に付属した寮に分宿、寮には寮長が家族とともに住んで生活と農業の指導にあたりました。
農地が重粘土の悪質土壌だったため
土地改良の暗渠(あんきょ)堀りは1952年まで続いたそうです。大変な苦労だったのですね!
1943年8月校歌制定 作詩:黒澤酉蔵(橘文七加筆) 作曲:小松耕輔
校 歌
1. 手稲の嶺の雪清く 緑綾なす原始林
身を興農に捧げんと 燃ゆる希望を抱きつつ
集う機農の旗の下 ああ光栄あれその行途
2. 勤労の汗尊しや 農はみ国の基にして
又健民の泉なれ 農村荒れて何処にか
国の栄を求むべき 使命は重し ああ我ら
3. 千幸万苦先人の 遺烈かぐわし北の海
試練の波は高くとも 真燈の心 鉄の腕
天地と人と一体の 農の真髄悟ばや
4. 平和の日かげ身に亨けて 振うも嬉し聖の鍬
普遍の誠広き愛 科学の翼とりそえて
真農道をまっしぐら 重き使命を果さなん