野田修平様(短大6期)東京都民美術春季展に出展
いつもお世話になります。皆様お変わりございませんか。
同窓会東京都支部野田修平様が東京都民美術春季展に出展致しました。
日本を象徴する“さくら”からもう一方の“富士山”への挑戦と言うことで、山梨県の忍野村からの富士 20号の作品とのことです。
秋のビックな展覧会には、この作品をベースに100号の大作を考えているとの事です。
展覧会の案内状及び会場地図を貼付いたしました。是非ともご高覧頂きたく会場へお運び下さい。
なお 野田様は会期最終日9日の午後会場にいらっしゃるとの事です。(文責 高澤 靖)
農家の大きな家の一部を「民宿」としてお貸ししています。
伊那市の中心部から約13kmくらい(車で20分)、高遠城址から約5kmくらい入った大変静かな山の中にあります。夜は星がきれいです。季節によって、野草・山菜・キノコ採り、ホタルや日本最小のとんぼ・八丁トンボの生息地も近くにあります
ので、ご希望があれば案内できます。
都会からはなれて、自然の中で静かな時をお過ごしください。
わたくし(綾子)は、家事と機織り、そして春からは畑でいろいろな野菜を無農薬・有機肥料でつくっております。また、夫は会社員ですが、休みの日にはお米作り(無農薬・有機栽培ではありません)を、また時間のある時には木工品を作ったりしております。現在は畑の中にお客様宿泊用の木造ハウスを製作中です。機織り体験・農作業・木工等、興味のある方はお申し出ください。お客様用の「はたおり機」も準備しておりますが、ご希望の方は2週間ほど前にご予約ください。
お問い合わせ等ありましたら、下記にお願いいたします。
連絡先:長野県伊那市富県上新山1054 機織り工房&農家民宿 ふだん着
北原和美 綾子 TEL・FAX(兼用) 0265-72-5799
同窓会連合会長野県支部研修会・総会報告
23日(土)午後2時より、岡谷市信濃屋において、同窓会連合会長野県支部の研修会・総会が開催された。本学からは講師の中原准一特任教授、谷山弘行学長、栄忍高校長、浦川が出席。東京からは高沢靖東京オフィス所長が出席。 総数21名により開催された。
研修会では、短大同窓生(7期)小林亀太郎氏より「恩師樋浦先生の思い出」と題して、88歳とは思えない頭脳明晰、優れた記憶力で樋浦誠先生に纏わるエピソードをお話いただいた。「樋浦先生のメッセージで、青年で一番大切なことは信頼される人間になることである」と励ましていただいたことが印象に残っていると話した。
続いて中原准一特任教授による「TPP交渉参加をどう考えるか-問われる国のかたち-と題して資料に基づき安倍晋三首相のTPP交渉参加表明からTPPの本質、農業問題だけではない多面的な視点で講演いただいた。先生は「米国の米国による米国由来の多国籍企業のための貿易協定といわなければならない。」との警鐘をならした。
3時40分から平成24年度の第2回定期総会が同会場で開催された。酒井興一理事の司会進行で、田中清司支部長は「あせらずゆっくり」と支部活動を推進していきたいと挨拶を述べた。
田中支部長を議長に平成24年度事業報告並びに収支決算報告、平成25年度事業計画(案)並びに収支予算案が審議され、承認された。
平成25・26年度役員体制について、顧問に小林亀太郎氏、支部長は田中清司氏が再任、満澤恵治氏、森 健氏副支部長、事務局長に満澤恵治氏(兼任)以下4ブロック役員の中からの理事、監事、事務局、会計等がそれぞれ選出された。今年の事業計画では、永井農場見学が企画されることとなった。
来賓挨拶では谷山弘行学長より本学の現況報告についてご紹介いただいた。
総会終了後は、別室において懇親会が開催され、榮忍高校長、高澤靖所長の来賓挨拶ののち出席者全員の近況報告が和やかに開催された。
追記:小林亀太郎さんの体験牧場では先頃、アルパカの赤ちゃんが誕生に町の人気者になっています。
酪農学園大学学位記授与式報告
あいにく朝の荒天から時折野幌特有の強い風が吹く日となった3月21日(木)。
今年度、大学・大学院合わせて678名がそれぞれの道を歩む門出の日を迎え、ご父母、教職員の参列のもと、学内の体育館において10時から学位記授与式が執り行われた。
藤井創宗教主任の司式により讃美歌、聖書朗読、祈祷を以って始められた。大学学部学科・大学院のそれぞれの総代に谷山弘行学長より学位記が授与された。
谷山学長からは卒業生に向けて「三愛主義という建学の精神の伝道者としての使命を求める」式辞があり、卒業生を代表して鬼丸義明さん、加藤由季さんによる在学時のサークルや仲間との思い出や関係者へのお礼の証詞が述べられた。
次に麻田信二理事長は、挨拶の中で「酪農讃歌を共に歌う同窓生であることに誇りを持ってほしい」と述べた。最後は「酪農讃歌」を参列者全員で合唱して式を閉じた。
学科別懇談会場においては、学位記と同時に「酪農讃歌」の音楽CDが同窓会から、「酪農ジャーナル」が、大学と同窓会からプレゼントされた。
酪農学園大学土壌・植物栄養学研究室OB・OG会・セミナー及び原田勇先生を偲ぶ会報告
2012年3月16日、酪農学園大学土壌・植物栄養学研究室OB,OG会・セミナー及び原田勇先生を偲ぶ会がアークシティホテルで午後2時から開かれました。
セミナーでは以下の報告が行われた。
西川 求氏:大学1期生 瀬棚における新規開拓の45年間、今も新しく農業を目指す若者たちが多く集まり小規模ながら堅実な経営を営んでいる。
玉利和弘氏:大学10期生 普通高校、農業高校の教員、教頭、校長を歴任、現在、酪農大学で人材養成に情熱を燃やし、学生と対峙する日々を語る。
斎藤達夫氏:大学4期生 栃木県の農業指導を通じて福島原発事故の影響を受けている農家の現状を語る。風評被害の難しさは考えさせられる。
記念撮影ののち、総会を開き経過報告、規約の一部改正役員改選、原田勇先生の追悼記念集を作成することとした。原稿5月末を締切、7月に発行予定。
原田勇先生を偲ぶ会:渡辺兵衛牧師の司式のもと讃美歌121番(まぶねの中に)
聖書:コリントの信徒への手紙13章2節「神秘や知識に通じ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
マタイによる福音書5章43~45節「敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しいものにも正しくないものにも雨を降らせてくださるからである」
追悼の辞:渡辺兵衛牧師から原田先生について語られ先生は愛の人であった。
「思い出を語る」では、大学2期生 篠原 功氏、大学4期生 安藤 廣氏 がそれぞれ先生に導かれ今もなお支えられて生かされていることが語られた。
その後、懇親会に入り参加者全員35名が自己紹介と原田先生の研究室での出来事や思い出を8時過ぎまで語り、学生時代は厳しい先生だと思っていたが、伸びると思われる学生には厳しかったのではないか、と。僕らの頃は優しかったなとの声もあり、しっかりした学生には優しかったんだと、時代と共に先生も丸くなられたお人柄が忍ばれました。
先生の急逝されたことを惜しみつつご冥福を祈り、奥様のご健康が守られ、我々もまた健勝で再会を期し別れの時となりました。(文責 西川 求)
「アーサー神塚先生追悼記念会」の様子とご子息ジョンさんの「感謝の言葉」を事務局の西川求様よりお送りいただきましたので、同窓生の皆様にご紹介いたします。
3月12日(火)70名あまりの方々にご参加いただき、瀬棚町民センターにおいてアーサー神塚先生を偲んで追悼記念会が行われました。昨年4月3日夜家族の見守る中で主に感謝して、お一人お一人に声をかけ4日未明眠るように天に召されたと、ご長男のジョンさんから話を聞きました。
神塚先生の酪農学園での働きは、草創期に始まり、学園の骨子を築き、三愛精神をもって樋浦誠学長と共に多くの職員や学生に福音を述べ伝え、真実の愛に立って三愛塾を開き、地球家族の愛によって行動する素晴らしさを何度も繰り返し述べ伝え、私たちの歩むべき道を指し示してくださいました。
遠く栃木県より、菊地創先生夫妻、久世礼子先生始め札幌や江別から多数ご参加頂き感謝しております。(文責 西川 求)
アーサー神塚追悼記念会にて感謝の言葉
瀬棚の皆様がこのような集会を開いてくださることに私の父がどれほど感謝し、また喜んでいるか、言葉で言い尽くすことができません。瀬棚は父にとってとても深い意味を持った場所でした。父は晩年に一生を振り返り、自分の人生にとって神様の導きが本当に素晴らしいもの、奇跡的なものであったと言っていました。
父が北海道で過ごした頃のこと、そしてここで出逢い、共に働くことのできた素晴らしい人々のことを常に口にしていました。父によればそれは神様の愛と御手による導きが人間の思いをはるかに超えており、神様が人の望み以上のことをなさる方であることを証する活きた証拠だということでした。この記念会を企画し、実現してくださった方々に私からも感謝をささげます。そして私の兄弟たちや妹も、皆が感謝しています。
昨年、私は非常に辛い思いをもって日本に来ました。父の容態が悪くなっていたからです。しかし私が日本にいた間、父は生き続けていてくれました。私は帰国するとすぐ、空港から直接に父を見舞いに行きました。父は元気で、私が日本で会った人々についていろいろと質問を浴びせてきました。とくに、数ヶ月前に亡くなった母、彼の妻和子のために瀬棚で記念会が行われたことを話すと、父は深く感動していました。
今にして振り返って見ると、父は私が日本で見聞きして来たことの報告を聞くために、残された力のすべてを用いて生き続けていたのだと強く思わされます。父はその後15日しか生きていませんでした。その頃、死の床にある人々のほとんどの例に漏れず、父は食物を摂ったり、水を飲んだりすることをしなくなっていました。もちろん、私たちは栄養を摂るように説得しましたが、父はまったく聞き入れようとしませんでした。
父の死の前日、父の子どもたち、そして孫の何人かがニューヨークにある彼のアパートに集まっていました。父は非常に弱くなって、ベッドに寝ていましたが、私たちが歌う讃美歌に合わせて一緒に歌っていました。父が好んでいた聖書の言葉が読まれ、父が63年共に生きた妻、和子・リリーについての思い出話を私たちがするのを、一所懸命に聞いていました。それでも父は食物と飲み物を断固拒否し続けていました。夕食の頃になって、私の弟の一人がそこに集まっている者たち全員のために、近くの店に食べ物と飲み物を買いに出掛けました。彼が戻って来て、彼は父に夕食に何か食べたいかと尋ねました。父はいつもの通り、何も要らないと答えていました。
しかし弟が、冷えたビールがあるよ、と言ったところ、皆が本当に驚いたことに、父は全力を振り絞って、少しビールが欲しいと言ったのでした。ビールの注がれたコップが父のところにもたらされた時、父はベッドの上で起き上がり、そこに集まっているすべての人々にもコップを配れと命じました。子どもたちのコップにはジュース、大人たちのコップにはビールが注がれると、父は一人ひとりを見回して、皆を一人ひとり深く愛して来たこと、それ以上に皆に感謝して来たと言い、そして「乾杯」と言いました。父はビールを本当に飲みたかったのではないと思います。しかし、ビールがあると聞いて、皆に最後の「祝福」を与えたいと願ったのだと思います。
父はビールを一口だけ口に含み、そのままコップを置き、深い眠りにつき、そのまま次の世に旅立って行きました。父がもしこの席にいれば、父は皆様一人ひとりを見つめたいと思ったに違いないと思います。そして父の心は喜びと感謝に満たされ、皆様一人ひとりに「祝福」を捧げたいと願ったに違いありません。父に代わり、母に代わり、また私の兄弟や姉代表して、皆様に感謝を申し上げます。ありがとうございます。
2013年3月12日 ジョン神塚
同窓会連合会足寄支部「総会及び新年会」報告
2013年2月15日(金)午後6時30分から足寄町2条2丁目まるさん食堂において、酪農学園同窓会連合会 足寄支部の年一度の『総会及び新年会』の交流会を開催された。
当初15名の参加予定であったが、当日は14名の参加となったが、久しぶりの参加者もあり、楽しく交流することができました。
また、今年は新規会員で新婚の女性会員の参加、総会では、昨年結成された「十勝支部の経過報告」等も報告された。 写真 (参加者全員で、ハイポーズ!!) (文責 鈴木 利邦)
ボランティアクラブOB・OG会~松本懿先生感謝会~
2013年2月23日(土)19時より、新さっぽろアークシティホテルにて松本先生感謝会を行いました。
松本先生、白石先生、OB・OGの方が13名、現役部員10名の計25名の出席がありました。感謝会はボランティアクラブ初代部長を務められた斎藤様に乾杯の挨拶をしていただき、食事をしながらの進行でした。OB・OGの方々に一言ずつ挨拶をいただきました。
最後に松本先生からお言葉をいただき、花束、色紙、記念品の贈呈を行いました。感謝会終了後、記念撮影を行い、無事に終了しました。
今回の感謝会は現役部員を中心に行いました。(文責 前部長 佐藤)
とわの森三愛高等学校(通信制課程)卒業式報告
3月9日(土)低気圧の通過による悪天候の中、第3回となるとわの森三愛高等学校通信制課程の卒業証書授与式(9名の卒業生)が高校礼拝堂において、学園・高校関係者、ご父母、生徒の出席の下、執り行われた。肥田宗教主任の招きの言葉のあと、讃美歌、聖書朗読並びに祈りをもって進められた。榮忍校長より卒業認定宣言並びに証書授与が行われ、一人一人に卒業証書が手渡された。
校歌斉唱ののち、式辞の中で榮校長は「卒業に際し、関係者へのお礼と通信制課程の生徒との関わりや学びの重要性」を述べた。麻田理事長は、「現代社会における本学の三愛精神の重要性を述べ、卒業生一人一人夢を持って前に進んでほしい」と挨拶した。
送別のことばでは在校生代表の松田剛太さんより「お世話になった先輩へのお礼」を述べ、別れのことばでは河津楓花さんは「通信制課程での体験を通しての自分自身を成長と関係者へのお礼」を述べた。最後に3年間の思い出の写真がスクリーンで紹介された。