第8回彩信会油絵展が2012年7月31日(火)~8月5日(日)、新宿御苑新宿門
インフォメーションセンター・アートギャラリーにおいて、午前9時~午後4時30分(最終日は午後3時終了)の時間帯で開催されますのでご案内します。
出品者は本学OBの野田修平氏はじめ、石井國雄、倉谷弘男、白井 明、丹羽俊夫、
吉原忠雄、渡辺卓哉の各氏
会場のインフォメーションセンター・アートギャラリーについては、こちらのHPから
ご確認願います。 (東京オフィス 高澤 靖)
5月21日(月)の「日食」の写真を送信します。私の家のベランダから撮影したものですが、当日曇っていたのですが、雲の晴れ間から現れた日食です。
和歌山支部長 澤竹 孝幸氏より
お詫びの日記となります。
5月18日、巣穴に盛んに出入りする光景を目にしていました。多分、巣穴が完成して、いよいよ子育て準備が整ったようでした。雌がさかんに巣穴から顔を出していました。
19日~21日の出張で不在の間、特に21日(月)、カラスとあかげらとの争いが見られたとのことでした。
現在、アカゲラは営巣を放棄したと見られ、雀がたまに出這入りしています。
営巣日記をお届けすることを楽しみにしていましたが、残念です。また構内で面白いニュースがありましたらご紹介します。 事務局 T.U.
同窓会事務局のデスクから振り向くと見える窓外の白樺の木に、アカゲラが巣穴づくりを始めました。見つけたのが小雨模様の16日でしたが、一日中黙々と巣穴を掘っていました(さすがに野幌森林公園(昔野幌原始林の愛称)を借景としている本学ならではの光景と思いますが)。
同窓生会館と中央館前の歩道に挟まれている白樺は、数年前の大風で枝が折れたため、その上部が切断されています。巣穴はそこから5~60cm下がったところにあり、当初からあった小さな穴を利用して作られています。歩道から巣穴はちょうど真裏にあたるため、通行する人からは陰になって見えません(私のデスクからは丸見えですが...)。
昨日、2羽つがいのところも見かけましたので、運よく営巣から巣立ちの風景まで見られることを期待して、不定期ですが「支部だより」のコーナーで連載していきますのでたまにチェックして下さい。
第1回目写真は巣穴づくりに頑張るお父さん?といったところでしょうか?
鹿児島県支部にお願いした桜前線報告から、北海道での開花まで約1カ月以上かかりましたがゴールデンウィークの前半にようやく北海道でも桜を見ることが出来るようになりました。
写真は5月7日朝に学園構内で撮影したものです。前日からの雨もようやくあがり、すがすがしい朝を迎えました。
皆様からも花だよりや地域での同窓会活動をこのホームページで紹介させていただきますのでお便りをお待ちしております。 同窓会事務局
4月10日(火)の11時より本学研修館において、アジア酪農交流会関係者(同窓生多数含む)と海外からの留学生・研究者約50名により2012年度の総会および講演会が開催された。
総会に先立ち、野英二会長の歓迎のご挨拶と来賓の麻田信二理事長のご挨拶を頂戴した。
総会は2011年度の事業報告並びに決算、2012年度の事業計画および予算、2012年度役員が提案され、承認された。
講演会は安宅一夫前会長を講師に「アジア酪農交流会の過去・現在・未来」と題して行われました。1975年に発足し、原田勇初代、安宅一夫(2代・4代)、中原准一(3代)、野英二(現)と続いてきた本会の国際交流事業に係る歴史的変遷をご紹介いただいた。
今日、本学で行われている国際交流に係るさまざまな取組の先がけとして、当会が重要な役割を果たしてきたことが先生のご講演をとおして理解することが出来た。
その後、昼食会では原田学園長のご挨拶、留学生・研修者の紹介、町村末吉氏の米寿お祝い等が行われ、終始なごやかな雰囲気の中で親交を深めた。
こんにちは、千村友輝です。
今年の1月から中米のエルサルバドルという国で青年海外協力隊員としてボランティア活動をしています。
こちらに来て一ヶ月が過ぎました。日本との文化や習慣の違いに日々惑いながら、こちらで一生懸命楽しもうと心に決めて生活しています。
エルサルバドルに着いてからの一ヶ月間は、スチトトという町で語学研修をして過ごしました。今回の体験記は、先回の体験記に続きこのスチトトという町での一ヶ月間の後半部分での生活を通して感じたことを書きたいと思います。
先月号では『スチトトの町はとても美しく豊かな観光地です』と紹介したのですが、その後この町を知っていくうちに、どんどんそのイメージは変わっていきました。まだ慣れない土地なので地元の人と共にスチトトの町を散策したのですが、今回僕が見たものは、以前感じた豊かさとはかけ離れた、とても貧しい裏の一面でした。
☆スチトトの裏の顏☆
豊かな観光地から路地を抜け、数百メートル坂を降りた低い地域全体にそれは広がっていた。そこに住む人たちの環境は上の観光地とはかけ離れていて、レンガで造った囲いに、ただトタンを屋根代わりに乗せただけのような小さな家々が立ち並んでいた。レンガが使われて無い家もあった。至る所にできたゴミの山と下水の匂い。鶏や犬もとても痩せていた。とても殺伐とした雰囲気で、その地域に入りかけた時、一人では危険だと思ったので一度引き返し、ラファエルさんというお土産物屋さんを経営する現地のおじさんに案内を頼んだ。
この地域は土地が低くなるほど、小道に入っていくほど、更に貧しくなっていく。観光地から流れ出る生活用水でできた川も、下流へ行くほどごみを沢山含んで汚れ、その匂いもきつくなっていく。ラファエルさんの話だと、この汚水やゴミの山など不衛生な環境がここに住む人たちが病気になる原因になっているという。また雨季にはここら辺一帯のゴミや汚水が一気に近くの湖に流れ込むらしいので、湖の事を考えるとぞっとする。観光地のすぐ近くにこんなにも貧しい地域があることに、そしてあまりの貧富の差があることにとても驚いた。
エルサルバドルでは家族のうち一人でもアメリカに出稼ぎに行くことができればその仕送りで、家族全体が潤うようだ。しかしビザを取得できるのは「お金持ちでしっかりした社会的信用や職を持つ人」とかなり条件が厳しく、一般のエルサルバドル人が合法的にアメリカに行って働くことはとても難しい事らしい。
昔は今の観光地がある地域に家を借りて住んでいた人も、観光地化したことにより地価が上がり、家賃を支払えなくなってこの地域に移動してきたという人も多くいるとのことだった。確かに観光地に住むいろいろな家族と話をしたが、その多くが親族の誰かがアメリカにいると言っていたように思う。
この地域を歩いていて他に気になった事は、木の切り株を沢山見つけたことだ。各家庭で料理用の薪にしているのだという。木はどんどん切られ環境破壊が進んでいる。ただここに住む人たちのあまりにも貧しい生活を目の当たりにすると、生きるためにはしょうがないのかな、とも思え複雑な心境になった。そもそもスチトトにこのような地域があるということを知らなかったので、観光地だけをみて少し浮かれていた自分を情けなく思った。
貧困層の地域を歩いている時にサラという6歳の女の子と仲良くなり、家を見せてもらった。訪れたときには全員はいなかったが、6畳2間ぐらいの家に家族10人くらいで住んでいるらしく、着ている服や家の様子を見ると容易にその貧しさが理解できた。
しかし印象に残っていることは、この姉弟たちが凄く仲良しで、ずっと笑っていて優しくて、とても楽しそうだったことだ。逆に元気をもらった。『貧しさ=不幸』ではないのだと素直に思った。この子達は選んでこの国のこの貧しい地域に生まれてきたわけではないだろう。幸せとか不幸せは、その人が選択する価値観で決まるように思う。彼らはとても逞しい。サラという女の子の泥だらけの屈託のない素敵な笑顔が忘れられない。
ボランティアは自分の価値観の押しつけであってはならないと、強く思った。
☆ ホストファミリー ☆
スチトトでこの一ヶ月間、色々な人と出会ったけど、一番お世話になったホストファミリーのことを書かずには終われない。
「ここはあなたの家だからいつでも帰っていらっしゃい。」そう言ってくれた。
僕がお腹を壊したときには、日本の同僚が作ってくれたお粥を真似て、その後毎食作ってくれたり、僕のきっと良く分からないスペイン語にも、毎回辛抱づよく聞いて理解しようとしてくれたりと、他にも本当に沢山の優しさをもらった。来たばかりで不安だった僕だが、ホストファミリーのお陰でこちらの生活にもしっかり慣れることができたし、エルサルバドルのことがすごく好きにもなれた。 別れ際には涙を流してくれた。
言葉が通じなくとも、心を通わすことはできる。こんなにも相手のことを大切に思える関係ができたことを凄く素敵に思う。世界の反対側に家族ができた。
別れが寂しくて、できればこのままスチトトにいられたらな、なんて思ってしまいそうですが、来週からはまた次のステップです。いよいよ二年間活動する任地のラ・ウニオン県(エルサルバドルの東)へ移動することになります。新しい職場や新しいホストファミリーとの出会いがあります。何が起きてもドンと来い!と心で受け入れ態勢を整えて、向かいたいと思います。読んでいただきありがとうございました。
鹿児島市では桜 (ソメイヨシノ)が3月23日に開花しました。平年より3日早く、昨年より4日遅い開花です。
私の住む曽於市大隅町は宮崎県都城市のお隣で,鹿児島県の中では寒い方になります。
本日2012/03/30の桜です。三分咲きぐらいかなというところです。すっかり春になり,お花見の方が出てきました。(鹿児島県支部事務局 宮下様)(写真はクリックすると拡大します)
(各地区支部へのお願い:全国に広がる本学同窓会連合会のネットワークにより、鹿児島から北海道までさくら前線北上を追いかけたいと思いますのでHPをご覧になった方は下記までお便り、写真等をお送りいただければ幸いです。即日、UPいたします)
e-mail:urakawa@rakuno.ac.jp(連合会事務局) FAX:011-386-5987
はじめまして、千村友輝といいます。去年の3月に酪農学園大学の獣医学部を卒業しました。
今、青年海外協力隊員として中南米のエルサルバドルという国に来ています。これから二年間、この国で地域の活性化や青少年教育の改善等のボランティア活動を行う事になります。
日本の普段の生活ではあまり縁の無い国ですが、こちらでの体験や驚き・感動など、リアルな情報をお伝えて出来たらと思っています。お付き合い、よろしくお願いします。
『エルサルバドルってどんな国?』
日本からアメリカのヒューストンを経由して、飛行機で20時間ほどで中南米のエルサルバドルという国に着く。(わずか一日で、ほとんど地球の裏側まで来る事が出来てしまうのだから凄い。)
国の大きさは、日本の四国と同じくらいの面積。そこに約600万人が住んでいるのだから人口密度はそれなりに高い。日本との時差は-14時間で、日本とは昼夜逆転している。(当たり前か)
中米というと、陽気なラテン系民族のイメージを持つが、エルサルバドルはどこか少し違う印象を受ける。この国は、つい20年ほど前まで内戦が続いていた国だ。
20年前ということなので、僕ぐらいの年齢の人達は皆、内戦を経験していて、話を聞くと死体を飛び越えて逃げたことや、実際に銃を持って戦った経験がある人、肉親や親友を内戦で亡くしたという人の話を多く聞く。町を歩くと、五体満足ではない人達をとても多く見かけるのも、国民の男女比で男性の割合が未だ女性に比べ低いのも(だいぶ回復してきているようだが)、きっと内戦の爪痕が依然、深く強く残っているからなのだろう。
★2012年の1月17日の午後16時に成田を発ち、同日1月17日の夜20時に首都サンサルバドルに着いた。空港から車で30分位の所だ。
時差のマジック。海外に行った時に必ず味わう小さなときめき。日本を飛び出した事を実感する瞬間だ。新しい始まりを実感する。
☆スチトト
エルサルバドルの首都サンサルバドルに着いてから、協力隊のエルサルバドル事務所で治安や健康面での注意点を聞いた後、一か月間の語学研修のために、車で40分くらい北上したところにある「スチトト」という街に移動した。
スチトトとは現地語で“花”と“鳥”という意味らしく、街を歩いていると、多くの家の壁にそのシンボルが描いてある
ここはエルサルバドルの中でも珍しく治安が良く、暗くなる前なら一人で歩いても安全らしい。そのため週末になると他の地域からの観光客や、日本を含めノルウェーやデンマークなどからのボランティア員が語学訓練をする場所としても使っている。それでも夜になると、よく何処かから銃声らしき音が聞こえるが…。それでも僕の知る限り、とてものどかな街でエルサルバドル初級編として体を慣らしていくにはちょうど良さそうだ。
☆不便な生活の中で感じる事
スチトトではホームスティで過ごすのだが、ここでの生活は無い物がとても多く有る。たとえば洗濯機やお湯の出るシャワー。つい二週間前までの日本との生活とはガラッと変わって不便な思いをしている。
ボタン一つで洗濯が出来てしまう洗濯機の有る生活から、一転して洗濯板を使って一着ずつ洗うこちらのやり方に驚いている。使い易い日本の包丁が無いので果物が巧く剥けなかったり、アイスピックでいちいち氷を砕いて使わなければならなかったりと、日本の便利な生活に慣れきっている僕にとっては、不便と感じることがとても多い。
しかし同時に思うことは、洗濯板を使って洗濯することや、切れないナイフを上手に使うこと、アイスピックで氷を砕く経験等、普段なかなかしないこと。これも修行だと前向きにとらえて毎日やっていくと、どこをどうしたらもっと上手く効率良くできるようになるかを考えるようになり、試行錯誤を繰り返しながら、それを楽しんでいる。こんな工夫をこらしながら生活することなんて、便利な日本ではなかったなぁと思い、そう考えると発見や気付きも多い。
不便の中だからこそ感じることができる「工夫する心」をこれからの生活の中で大切にしていきたいと思っている。
☆ホストファミリー
一か月間スチトトの町の民家にホームスティをさせてもらう。
家族はホストMotherのホセフィーナさん(69歳)とその息子のエックトルさん(45歳)。とても親切な人たちだ。他に、今は家にはいないが、次男のウィリアンさん、長女のエイミーさんもいるらしい。
☆宗教と家庭について
長女のエイミーさんは15歳の時に長男を産んだそうで、こちらの国ではacompañados(アコンパニャードス)っていう言葉があって、結婚はしていないけど同棲しているような関係がとても多いみたいだ。
避妊に対しての意識が低いため、未婚のまま子供ができてしまうことが多く、若い年齢での出産がとても多い。また、国民の大多数がカトリック教徒で、宗教上人工中絶が禁止されており、それに加えて、若い父親が別の女性を作って家を出て行ってしまうケースも多く、そのため片親(母親)の子持ち家庭がとても多い。さらにカトリックでは離婚も禁止されているので、離婚はしていないが旦那はもう10年前に出て行って、今は新しいパートナーと一緒に暮らしているという人もいる。大変ややこしい。
ホセフィーナに「旦那さんは?」と聞いたら、「私には夫はいない!」ときっぱり言っていたので、たぶん旦那さんが他に女性を作って出て行ってしまったか、内戦で亡くしたかだろうと思った。そっとしておこう。
この国ではこの二つのケースが多いようだ。
とても親切で温かくて、大好きなホームスティ先の家族だけど、その家族構成にもエルサルバドルの抱える問題を垣間見たような気がした。
★まだこの国に着いて二週間ほどしか経っていないのではっきりしたことは言えないが、この国のすごく素敵なところも沢山見つけた。
例えば、挨拶をすると、必ずと言っていいほどみんな笑顔で返してくれる事。みんな比較的勤勉で仕事を一生懸命している事。会計時のお金やお釣りをごまかさない事。そして何より、とても親切な人が多い事。
エルサルバドルに来る前には、殺人事件の件数が世界一だったとか、青年ギャング団が蔓延っているとか、この国の恐ろしい情報は沢山聞かされていたが、実際来てみて認識を新たにすることも多い。
地球の反対側の全く想像のつかない国でも、やっぱり温かい心を持った人たちが沢山いて、笑ったり泣いたりしながら家族や友達などを大切にして、つつましく生活をしている。当たり前の事かもしれないが、そんな当たり前な風景を見ると、何となく安心するし嬉しくなる。
同じ人間であれば、国が違えど人間の根本的なところでは文化や言葉を超えて通じ合えることが出来ると僕は信じている。
ただ、それらを取り巻く環境が日本より貧しかったり、医療や教育など日本だと当たり前に受けられる事が出来なかったりで、苦しい想いをしている人たちが沢山いる、という違いがある。だからこそ、そこにボランティア員が派遣される理由があるのだと思う。
この未知なる国で、今後僕が何をどこまでできるのかは全く分からないが、二年という年月をかけて、少しでもこの国の人たちの笑顔や安らぎの瞬間を増やしたいと思っている。
(この便りは本学国際交流課 高橋直樹課長とパラグアイ移住松村あきさんの交換メールから紹介しました。)
(1月14日付メール)
私は昨年7月中旬から8月の45日間、南米パラグアイにて短期ボランティア・職種は家畜飼育として赴任されました。赴任地は、南東部イタプア県マリア・アウシリアドーラ市です。オニョンディペパ農協とペルペトゥオソコロ農協の酪農家さんを巡回し、話を聞いてきました。パラグアイでも地域によって、幅があり手搾りの酪農家もあれば、パイプラインでの搾乳している方もいます。繁殖に関しても、人工授精も普及していますが、♂牛による繁殖も多いです。私が巡回させてもらった酪農家さんは小規模の方が多く、牛を数頭、豚、鶏も飼い、家庭菜園も作って、農家市を開催し、野菜・手作りチーズ、豚肉、卵の販売もしていました。新鮮なものばかりで、いつもたくさんの人が買いに来るそうです(私も購入して食べました、どれもおいしかったです)。
日本でも参考になるような、衛生的にし(牛舎も牛舎まわりも本当にきれい!)、管理の行き届いた酪農家さんもいました。小規模であっても、少しの改善で生産が伸びます。巡回して感じたことは、みな情報・アドバイスが欲しいと意欲的でした。お金をかけなくても、改善できる点はみられました。ペルペトゥオソコロ農協には農業技師もおり、オニョンディペパ農協も農業技師を入れるところでした。これらの農協はこれから伸びる地域であると感じました。
パラグアイの農協のすばらしいところは、教育委員会があるところです。前年度の利益の1割を教育委員会の予算とし、農家のために講習会をひらいたりします。
獣医師による人工授精の講習会をひらくことになり、私も時間をもらうことになっていました。定時授精するためのホルモン注射が出来ず、講習会の開催が延期になり、残念ながら私の任期の後になってしまいました。そこで、人工授精や管理について簡単な資料を作り置いてきました。
地球の裏側に、日本に近い国があると初めて知りました。南米には日本からの移住者がたくさんいます。パラグアイもそうです。移住地区が何箇所もあり、それらの農協の店舗は日本の食材が普通に並んでいます。パラグアイで醤油は数社で作られており、街角のスーパーに売られています。
パラグアイは昔から日本からの支援・援助がおこなわれており、日本に対し、日本人に対し、とても友好的です。
大学を卒業後、酪農実習、検定員、酪農ヘルパーをし、道東弟子屈町にて人工授精師として5年勤務しておりました。そしてボランティアに参加することが出来、南米の地を踏むことが出来ました。日本、パラグアイそれぞれの良さがあります。パラグアイの人たちのきらきらと生きている姿に感動しました。
そして、2011年12月、パラグアイに移住しました。これからまた違う形でパラグアイ・日本と関われるようと考えています。・・・人生おもしろいですね。
酪農学園関係者の活躍を応援しています。
写真説明
①放牧風景、牧区にカメルーン(サトウキビに似ている)を裁断し給与。
②放牧風景、ホルスタインとジャージーの交雑種が多く、斑紋がおもしろい。
③とうもろこしサイレージも作っています。
④ぴかぴかの搾乳室。すばらしい!
⑤豚も飼っています。
⑥鶏自由に飼っています。
1998年卒業、家畜飼料学ゼミ
卒論テーマ「アルファルファサイレージの発酵品質に及ぼす生物学的影響」 パラグアイ在住 松村 あき