2019 年5月26日(日 )午後6時から熱海ニューフジヤホテルを会場にして参加者14名で短期大学第18期生の卒後50周年目を迎えてのクラス会を開催しました。
当日は、坂本与市名誉教授(元短大学長)をお迎えし、関東在住の畠山則一幹事長の急逝で延びていたクラス会の開催となりました。
参加者は坂本与市先生、村上勇治、吉田慎吾、本巣隆子、山本由喜江、寒河江正耕、三浦公久、三浦(伊藤)雅子、後藤一茂、漆原裕一、島(関)富美子、見良津一久、長谷部和利、菊地晴彦の計14名でした。
(幹事:菊地晴彦、長谷部和利、見良津一久)
元号が令和になって22日後、令和元年5月22日に「昭和42年入学及び昭和46年卒業 酪農学園大学農業経済学科同窓会」を札幌市で開催しました。
今年で6回目 (1回目は卒業後39年目の平成22年) の開催となりました。最近4年間は皆の総意により毎年の開催となっております。
この数年毎年数名の人が亡くなっており今年も4名が新たに逝去されました。年々増える物故者を偲び黙とうを行ってから同窓会を開催しました。
しばらく懇親を行った後、参加者の近況報告をそれぞれからしてもらいました。仕事を続けている人、趣味を持って楽しんでいる人、健康を維持しながら余暇を楽しんでいる人、など様々な生活を送っているようです。
今回欠席した人からのメッセージを見ると、体調を崩して療養中で出られなかった人や仕事等の日程が重なって出られなかった人など数名いましたが、その人達も次回は是非参加したいと強い意思を持っていることが伺えました。
17時に始まった同窓会も2時間半の予定時間 (19時30分) となり次回の開催をどうするかを確認したところ満場一致で開催 (令和2年5月20日) する事が決まり、各自再会を約束して6回目の同窓会を閉会しました。 (文責・請川利久)
2018年11月17日(土)18時から23時まで、札幌市内のジャスマックプラザホテルを会場に参加者21名で標記の同窓会が開催されました。
酪農学園短期大学同窓会784の会として、卒業30年目の2010年に第1回を開催しました。その後3年ごとに行い、今回で4回目となります。
卒業生124名(宛先不明を除いた)に案内状を送り、66名の返信があり、そのうち21名が出席して札幌のジャスマックプラザで1次会、2次会を行いました。
道内だけでなく、関西や関東からも参加してもらい、和やかに懇親を深めました。
9月の台風、地震の状況、家族や仕事の話等の近況報告、北海道の名産品を景品としたビンゴゲームを行い大いに盛り上がりました。
3年後の再会を楽しみに閉会しました。
(文責 永井れい子 幹事 佐藤和彦、中村貴子)
2018年12月1日(土)15:00よりホテルポールスター札幌において、同期会を行いました。
同期生およそ50名と恩師、現在の校長先生などを加えおよそ60人の参加となり盛大な会となりました。20数年ぶりの再会が懐かしく、まるで高校生に時が戻ったような感覚を持ち、懐かしい話に花を咲かせました。
これを機に、今回参加できなかった友達とも連絡を取り、今後クラス会や同期会をやっていこうと確認しました。改めてこの会に参加いただいた恩師や校長先生を初めとする現職の先生皆様、そして集ったみんなに感謝申し上げます。(文責 藤島 浩二)
私達は酪農学園短期大学昭和47年卒業21期生です。
現在66歳から68歳の年齢となりましたが同期会発足から約25年が経過し、この間に10回目の同期会を開催しました。今年は8月20日に荻原康之氏をお迎えして札幌市中央区「ジャスマックPLAZAホテル」で開催いたしました。
初回の開催では沖縄県から別海町在住者達約40名近くが参加されていました。
同期会は2年から3年毎に開催して参りましたが年々参加者が減り続けこの度の参加者は10名となりましたので幹事会諸事情により今回を最後と致しました事ご報告を申し上げます。
野幌酪農学園大学に志し学び卒業して社会人として大勢の仲間が活躍して参りました、札幌は第二の故郷と未だに毎年訪れていますので元気な方々は何時でも声を掛けてください。
これからは俺達の旅は終わらない編で継続して参りますので気軽にお問合せ下さい。
PC e-mail:Kishimoto@eco.ocn.ne.jp 携帯電話:08079862155
(文責 幹事・事務局 岸本正人)
平成30年10月28日(日)午後6時より、「ホテルWBFグランデ旭川」において、「“42”機農高校同期会2018in旭川」が開催されました。恩師の原田泉先生と伊藤茂生先生のご臨席を賜り、古希を迎えた同期生60名が参加しました。
宴では、男子校全寮制生活での52~54年前の懐かしさに思いを馳せてお互いに杯を重ね合いました。また母校「機農高校」の呼称由来である黒澤酉蔵翁の「機を知るは農の始めにして終わりなり」の言葉の重みを改めて確認する場ともなりました。昭和42年刊行のアルバム『機農』のセピア色の写真を紐解きながら、酒を肴に青春の一コマを熱く語り合うグループもありました。
テーブルスピーチでは、一人ひとりの個人的な報告の他に、胆振地方の地震の状況報告、地域ごとの情報交換、友人の安否とその情報、古希を迎えての今後の取り組み等の報告がありました。恩師のスピーチでは、この会の参加率の高さを称賛され、毎年継続開催することの大切さや期待も述べておられました。来年の同期会はオホーツク地区で開催することを確認し盛会裡のうちにお開きとなりました。 (文責 伊藤 幸太郎)
平成30年11月3日、 19年ぶりの同窓会を開催いたしました。 卒業以来、初めて顔を合わす人もいたりして30名が集いました。
新札幌(ホテルエミシア)に集合して学校を見学。 在学当時とはすっかり様子も変わり、近代的な施設を整えた景色の中にも当時を思い出す一端を探しながら時間の経つのを忘れた数時間でした。
全国各地(今回、 道外より6名)から、 還暦(定年)を迎え人生の節目となる今同窓会に奥さまを同伴で来道した人・・・など様々ながらも、 元気な姿で再会出来た事に感謝の思いでした。
年齢的にも体力の衰えを感じる時期に差し掛かる日々の苦悩?などの情報交換があちらこちらで・・・
一次会で帰る予定の人も、ついつい別れを惜しみ二次会の席に着いたり・・・夜の更けるのもすっかり忘れた時間でした。現段階で消息不明だった仲間についても驚くほどにその情報が確認できるなど、卒業してから随分時間が経っていても人と人の繋がりが大切・・・と改めて感じました。
北海道内外問わず、各地で活躍する仲間の健康と益々の活躍を願いつつ又の機会に再会出来る事を約束しての同窓会でした。学校見学などにお世話下さった同窓会事務局等に感謝いたします。
次回(期日未定)の開催までお元気で・・・
追伸)住所等に変更や確認出来た事などあれば連絡下さい。(文責 幹事 井上 茂)
私たち機農高校生は、時代の要請により、科がいくつも変わり、創学第1期から何十年目の連続した〇〇期生という呼び方がないので、直ぐには何期生?というのでは先輩なのか後輩なのか判らず戸惑うことがあり。
1933年酪農義塾が創立。機農の名前が世に出て来るのは1942年。1948年に野幌機農高等学校となっているので単純に高校からの数えだと18期生となる。機農名からだと私たちは24回生ということになるのだが?これでは計算が合わない。10年先輩が農業科で15期生?複数科が同年代時にあったと思われるが、詳細は歴史家に任せることにする。
今回の来道(私は八戸在住なので)の目的の一つに、10年先輩に当時のことのお話を尋ねることであった。その先輩とは、調べるに機農高校農業科第15期生1959年卒業となっている。そこで10年先輩であることが判る。敢えて先輩と呼ばせて頂く。
先輩の現在の住まいは、50年前と変わらず。私たちが2年の時に暗渠排水作業のために角山の圃場へ通った。先輩はその野幌8丁目通りにあり、現在も酪農を営んでおられる。私はこの場所に来るのは50年振りである。
少し話が長くなるが。現在私たち4期生の記念誌を制作中で、そのなかに50年前、この砂利道路をスコップ担いで歩いて帰る私たちの行進の写真が見つかり、掲載する予定です。その写真には当時の先輩の牛舎の一部が写っており、現在もその場所に同じ牛舎が残っている。また撮影された日時も判明できた。
学生時代にガリ版で作った学級文集が残っており、その中に農作業の苦しさのボヤキが切々と年月日付きで述べられており、当時私たちがどのようなことを考えていたのかがよく分かるのですが、その殆どを忘れてしまうほどの年月が流れてしまっています。
この地に10年先輩がおられることを知ったのは、3年の時の担任であった神正士先生のご子息にこの古い写真を見て頂く機会があり、そして、わざわざ現地まで足を運んでくださって判ったことである。
神先生の奥様の存在を知ることになるのは、角山の開拓を小説にした本を読んだことに始まります。その本の著者が神先生の奥様であったこと。またその本を私に紹介したのは三沢市在住の機農同期生でした。これもなんかの縁と感じてその後、厚かましく古い写真を送って、撮影場所が判明した経緯でした。もちろん先輩に会うことも出来て、撮影された場所も特定できたことは言うまでもないことでした。
さて、私たちの今回の同期会は14回(2年毎)を迎える。今回、54人の大人数参加と例年にない多さであった。そのために一言も会話を交わさないでサヨナラしてしまった仲間もいたと思う。今回初参加者がおり。ということは48年ぶりとなる。私は覚えていたが、相手からは、お前誰だ?という反応には、仕方ないかと思う。
もう一つの悲鳴?狭い部屋に仮の写場を作り、何とか54人詰め込んで撮影をすることになる。撮影場所は、仮の写場で、終了後は宴会場になるところであったので、それからテーブルを配置して椅子を並べて、こちらは撮影機材を早々に片付ける作業にてんてこ舞い。そのうち主催幹事の挨拶が始まりだし、こちらはかなり慌ててスナップ撮影に奔走することになる。
集合撮影では飽きたのか、駄々をこねるキットギャングたちをなだめるのに、別な労力を使ってしまった。毎回いつも元気なギャングどもである。わがままも同期の仲間としての証なのかな。開催地と日時:2018年11月17日 帯広市 ホテルCABIN
※学園の時代考察は極めて個人的な見解です。 (撮影&文責 園田益男)masuosonoda@gmail.com
2018年11月10日北見市ピアソンホテルにて3回目の同期会を開催した。(私たちは3年毎の開催)
タイトルに~を中心としたのは、時代背景もあり、同期生は先輩後輩2~3年入り乱れていた。(年齢も学歴も)現実には4年制大学を卒業してから入学してきて酪農家のお嫁さんになった人。開拓入植のため1年間留年して私たちの同期になったもの。また後輩として卒業していった者もおります。だから正確には〇〇同期生とは言えないことから、上のような言い回しになっている。私たちの同期会の考え方は、同じ釜の飯を食ったことを持って同期生と見なし、その後参加していただいています。これは初回開催幹事が宣言してくれたことに起因しています。その事をもって同窓会の案内を出し続けている。またそのことを理解して頂けた仲間は気持ちよく参加していただいている。まだ参加いただけていない者へは粘り強く、その趣旨を説明してより多くの再会の機会を作るべく、各地区持ち回りの幹事たちにはご苦労いただいております。
今回はそのような努力?もあって5ヶ月だけの同期期間だった者が、福岡県から駆けつけて頂き、50年振りの再会を果たしたのだが、再会というにはあまりにも時間が経ち過ぎたようだ。でも10人ほどはしっかりと覚えていてくれたようで同期会でひとりぼっちになることはなかった。
個人的には私の実家に一晩泊まって頂き、翌日早朝の飛行場から帰路についていた。3年後、札幌近郊での次回開催が申し送られて、幹事長と事務方も即、決定快諾頂き、その再開を約束した。
余談ではあるが、我輩、同期から専属カメラマンとして拝命頂いておりますので、私のアルバムには沢山の思い出(6期生)が、積もりつもっていきます。
すこし話を戻すが、同じ釜の飯を食ったのは、なにも同期ばかりではない。全寮制でしかも3カ年先輩後輩、同室でしかも冬季間だけの短い学生生活を送りました。しかも加えて、同じ釜の飯をくったのは3学年だけではなく、上下5年分の同じ釜の飯を食った者がいたことになる。私たちが1年の時の3年生先輩。そして私たちが3年の時の1年生後輩。この学園同窓会のHPがあるおかげで、先輩後輩の年齢を重ねた姿?を見ることが出来ています。そのことについては、学園に感謝するばかりである。
私案ではありが、今後の同期会のあり方について取り敢えずは、私たちを2年生と仮定して、先輩と後輩を加えた合同同期会を開催したいと考えている。決して多くはない当時の記憶と年齢のこともあって、もしこの紙面を観て理解を示してくれるものがおられたら、ぜひ連絡いただければ、大変嬉し良い限りであります。
今回開催の記述後になったが、幹事代表は訓子府の西森信夫氏で、彼とは機農高校からの同期でもあります。参加数は35名。時間の過ぎるのも忘れて当時の懐かしい話に尽きることはありませんでした。次回開催は2021年、樺戸郡月形町の前町長、桜庭誠二氏に幹事長を、雨竜の長谷川直巳事務取扱と役割まで決まって快く引き継ぎされることが決まりました。誰も欠けることなく、そして前述の参加者を増やす努力は今後も続けていきます。
(写真・文責 園田)
平成30年11月21日に、宮城県の松島に於いて4期の同期会を開催致しました。
昨年の兵庫県姫路市の小河君より、今年開催の宮城県の保科君に同期会の幹事が回り、今年度の同期会の開催が盛況裡に、お開きとなりました。
4期生19名、同伴者4名の参加で、まず同期生の物故者に対し、黙とうで開始され、乾杯して祝宴に入りました。
4期生は、今年は古希に成りましたが、後ろ髪を見ると誰だか分かりませんが、顔は学生時代と激変なく、自己紹介に入りました。
飯沼愼一郎君、小松君、小西君、小河君、永井君、伴君、佐藤敬君、佐藤利博君、村上君、根本さんは、現役で獣医業に邁進。飯沼君、内山君、木戸君、保科君は、市町村の議員さんで奮闘中、北村君は、相変わらず中央政界で多忙な日々の中、斉藤文生君、本巣君、福富さん、久保は、無職の人種に分類され近況報告をしながら、歓談の宴の中、来年の開催について函館を最後に10年程
内地を周回していたので北海道の声もありましたが、富山県の永井さんに幹事を引き受けて貰う事に決定し、一次会のお開きと成ると、酪農讃歌を歌わなくては終われないと全員で歌い、二次会へと席を移し、各地より持ちよった品々を堪能しながら、夜更けまで話に華が咲きました。
翌日は、伊達政宗公の菩提寺の瑞巌寺を拝見後、松島遊覧船で松島湾を船上から観光した後、仙台市へ移動し、仙台名物の牛タン定食を頂き、来年の再会を誓い解散と成りました。 〔文責・久保 明 〕