11月16日11時より14時まで「まるみ食堂」を会場に20名の出席により令和元年度酪農学園同窓会(北海道第三地区会)が開催されました。同窓会本部からは小山久一会長にご出席いただきました。
今回は嶋田冬樹さんの海外(米国)研修報告、西川求さんの開拓当時の報告「酪農を志して」、安藤さんの当地域の偉人「日本公許女医第1号 荻野吟子」についての報告と続き、活発な質疑もあり、昼食も早々に済ませ、各自の近況報告を頂きました。
事務局の仕切りの悪さから、時間は既に14時となり慌てて記念写真をとり、今年は「酪農讃歌」を歌う時間もなく解散となりました。(文責 事務局長 荻本 正)
晴天の11月17日11時から14時まで八雲町「まるみ食堂」を会場に12名の出席により標記の北海道第三(道南)地区会が開催された。
都築信夫氏の会長挨拶では「今年の作柄や胆振東部地震、小林さんの受賞、また本学OBの生出さん、太田さんのフィリピンでのボランティア継続活動」等が紹介された。出席者全員の自己紹介のあと、昼食会となった。
報告・発表では、「八雲教会百年の歩み」「チーズ作り一筋・近藤さん」「酪農家の手で牛乳を・金子隆さん」「ミンダナオの風」「賀川豊彦先生を悼む」を新聞記事等により紹介した。報告途中での自由な発言や質問もあり、活発な報告会でした。
恒例の「酪農讃歌」を太田新生さんの指揮により全員で合唱した。閉会の挨拶が生出正実氏から行われた。
次回は2019年11月16日(土)(11月第三土曜日)開催予定となった。
八雲の空は、朝と同様に風もなく晴天だった。(事務局長 安藤 廣)
11月18日(土)11時から八雲駅傍の「まるみ食堂」において、第6回となる道南地区会が開催された。北海道第3地区では毎年11月の第三土曜日に地区会を開催している。
安藤廣事務局長の司会進行で進められ、始めに地区会長の都築信夫氏の開会挨拶が行われた。
本学からは酪農学園同窓会事務局 浦川が出席した。学園資料紹介や同窓会資料をもとに「酪農学園同窓会」の全国組織状況やホームカミングデー等の現況を紹介して北海道第三(道南)地区内の未設置支部(後志第一・第二支部)の設置推進をお願いした。
その後、八雲を中心にした12名の出席者から自己紹介と近況報告が行われた。後志支部からも3名出席の予定であったが都合がつかず欠席とのことでした。
総会では都築地区会長から会則の名称変更等の提案があり、原案どおり了承された。役員構成も一部変更され、新たに会計に荻本正氏、監事に佐藤龍彦氏が追加提案され、承認された。
報告・発表では嶋田冬樹(本学空手部OB)さんからマルタ共和国の概要報告が行なわれた。世界空手道選手権(KWF World Conference & World Cup 2017 – Malta)の審判として訪れたマルタ島の概要をスライドにより紹介していただいた。
また、安藤事務局長からは「樋浦誠先生遺稿集-無知からの解放-」の一節から24「短大15年酪農学部5年」を朗読し、初代樋浦学長の開学時の設置認可にかかる苦労談を紹介した。
最後は出席者全員で酪農讃歌を合唱して、最後に生出正実氏(大学1期)の閉会挨拶で終了した。
11月19日(土)11時から八雲町駅前の「まるみ食堂」を会場に、「道南地区会」が開催され、15名の同窓生が参加した。今回の地区会には都合がつかず同窓会本部からは出席出来なかった。
会長挨拶では都築信夫会長から11月4日に開催された本学主催の「酪農公開講座」時の「渡島第二支部同窓会」について28名が参加したことが報告された。次に参加者から近況報告を含めた自己紹介等が行なわれた。事務局より各支部状況について2010年現在の合計数等が述べられた。総会では規約の検討、会計報告も行なわれた。
恒例の報告・発表では「フィリピンの報告」を西川求さんが行なった。面積、島の数、人口等日本に似ている環境にあり、植民地の歴史や産業、教育状況等含めてご報告いただいた。
「宮澤賢治の朗読」について太田幸恵さんが報告し、朗読の発表会概要や活動概要を紹介した。次回以降の発表報告の予定についても事務局から紹介があった。また、次年度の「道南地区会」は平成29年11月18日土曜日に集まりを持つことが提案された。最後に生出正実さんから閉会のご挨拶があり、記念撮影ののちお開きとなった。
11月5日(土)に開催された酪農学園大学主催の「第51回酪農公開講座」の前日の4日午後6時から、「八雲遊楽亭」を会場にして、酪農学園同窓会道南地区同窓会が開催された
同総会には八雲町周辺の同窓生、および大学関係者等28名が出席した。本学からは竹花一成学長や講師の小岩政照教授、エクステンションセンター関係者、同総会等から6名が出席した。
会は荻本正八雲町役場課長補佐(短大ⅡコースOB)の司会進行で進められ、開会挨拶を道南地区会長都築信夫氏が歓迎の挨拶と同窓の絆の重要性を述べた。
続いて来賓挨拶として竹花一成学長から公開講座開催に伴う関係者へのお礼と大学の現況等について、ご紹介いただいた。
次に今回の開催地の中心である八雲町、森町、長万部町で構成される渡島第二支部の吉田英明支部長の乾杯により懇親会となった。
その後、出席者が一人ずつ壇上にあがり、自己紹介と近況報告を行なった。小岩教授(講師)は北海道酪農発祥の地とも言える八雲町での公開講座の講師としての抱負を述べた。機農高校OB加藤喜一氏からは「酪農学園八雲会」という酪農学園同窓会が以前に活動していた貴重なお話しをご紹介いただいた。
最後は加藤氏の万歳三唱により会を閉じたが、時間切れで集合写真撮影の後、酪農讃歌合唱が出来なかったことが心残りでした。
今回の同窓会は八雲町周辺にお住いの高校(機農・三愛女子)、短大、大学各学科の同窓生22名に出席いただき、今年就職したOB(H27卒)から機農高校農業科11期OB(S29卒)まで幅広い年齢層の同窓生にご参加いただきました。
なお、5日(土)に開催された第51回酪農公開講座は90名を超える出席者があり、盛会裏に終了したとのことでした。
北海道第3地区(道南)地区会報告
11月21日(土)11時から八雲駅傍の「まるみ食堂」において、第4回となる道南地区会が開催された。この会は北海道第3地区の役員や関係者が毎年11月の第三土曜日に開催している。
安藤廣事務局長の司会進行で進められ、始めに地区会長の都築信夫氏の開会挨拶が行われた。安藤事務局長から北海道第三地区(道南)の状況が報告された。
本学からは酪農学園同窓会事務局 浦川が出席した。学園資料紹介や同窓会資料をもとに「酪農学園同窓会」の名称変更や役員改選、会則改正等の現況を紹介して北海道第三(道南)地区の未設置支部(後志第一・第二支部)の組織化をお願いした。
その後、八雲を中心にした16名の出席者から自己紹介と近況報告が行われた。後志支部からも出席の予定であったが体調不良等により欠席した。
報告・発表では渡辺兵衛牧師からキリスト教八雲教会100年記念式典が10月18日に行われ、本学から榮校長もご出席いただき、100周年をお祝いしたことが報告された。「酪農讃歌」の「乳房もつ神」の意味について賀川豊彦氏の資料紹介を含めて氏の考えを紹介した。また、安藤事務局長は内村鑑三著「デンマルク国の話」の一節を朗読して名著の紹介を行った。
情報交換では安藤事務局長から八雲町の郷土資料館や梅村庭園、八雲町木彫り熊資料館について紹介した。最後は河村正人氏(酪農7期)の演奏に合わせて出席者全員で酪農讃歌を合唱して、最後に生出正実氏(大学1期)の閉会挨拶で終了した。
北海道第三地区(道南)地区会開催報告
11月15日(土)11時から八雲駅傍の「まるみ食堂」において、第3回となる道南地区会が開催された。この会は北海道第3地区の役員や関係者が昼食会の形で、毎年11月の第三土曜日に開催している。
今回は地区会長の都築信夫氏が八雲酪農の重鎮加藤孝光氏の死去のより急遽欠席となったが安藤廣事務局長の司会進行で進められた。渡島第一支部長の安藤廣氏、渡島第二支部長の吉田英明氏、檜山支部長の片桐哲男氏を含めて八雲を中心にした16名の出席者から自己紹介と近況報告が行われた。後志支部準備会から中園稔氏が出席の予定であったが吹雪の為、欠席となった。
先方からの要請により同窓会連合会から浦川が出席した。学園資料や同窓会資料をもとに現況を紹介して北海道第三(道南)地区の組織化推進をお願いした。
昨年に引き続き、ウガンダからの報告ということでJICA事業としてウガンダでのボランティア活動内容について川村正人氏からご紹介いただいた。ウガンダでは国民に占める子供の比率が50%を超えており、未来への確信が持てたとのことでした。また、相対性理論を例に思い=エネルギーは物質化するとの強い信念で活動したことを紹介した。特技のバイオリンでのウガンダ国歌の演奏も披露した。川村さんのバイオリンの演奏で酪農讃歌を三番まで全員で合唱した。
情報交換では安藤事務局長から八雲町の歴史的な資料紹介や委託実習農家の紹介等についての報告が行われた。最後に記念撮影を行った会を閉じた。
酪農学科7期 渡辺兵衛氏 「建学原論」で「土を愛する」:精神の継承を講義
12月5日(木)9時から黒澤記念講堂を会場に1年生約400名を対象とした「建学原論」が行われた。講師は八雲町在住で八雲教会牧師の渡辺兵衛氏(酪農7期1969年度卒)。「酪農学園の教育理念の継承Ⅱ」‐「土を愛する」精神を継承する-と題して約1時間の講義を行った。渡辺氏は自己紹介で山梨から北海道に憧れて本学を目指したことや卒業後、農村伝道神学校に進み、牧師として野幌や名寄等での伝道にふれた。
講義の前半では2人の師(原田勇氏、樋浦 誠氏)との出会いについて語った。まず前学園長の原田先生については3年時のゼミ選択で土壌肥料学研究室を選択し、濃密な1年間を過ごしたことが印象的であったことを述べた。同じゼミ生の河村正人氏やOBの生出正美氏を交えた瀬棚までの材料採取の話等々原田先生から受けた影響の大きさを語った。
樋浦誠初代学長については三愛塾運動との関わりを詳細に説明した。三愛精神について樋浦先生からの感化力を以下のように表現した。「ひとつのことを最後までやりとおす精神の継承は、生きた人間によって実体のあるものとなる。」
「土を愛する」では、ヘブライ語での「人」と「土」の意味の類似や小野信一氏の「土と人のきずな」や島村菜津氏の「スローフードな日本」を紹介し、生命の源としての「土」の特性を述べた。最後に初代宗教主任アーサー神塚氏の言葉を引用し、地球市民的な生き方を提唱した。
テキストの最後には酪農学園に学ぶそれぞれが「土を愛する」精神をもって、自分の場で自分にできる具体的な実践をしていくことが、精神が継承されることだと思う。そのためには「生きた人格的出合い」が不可欠であり、そのことを切に期待していると結んでいる。
酪農学園同窓会連合会道南地区総会報告
平成25年11月16日(土)午前11時から、八雲町本町のまるみ食堂において道南地区総会が出席者13名で開催された。都築信夫道南地区会長よりご挨拶があり、その後事務局から資料確認等報告を行った。昼食をいただきながらの会議で出席者全員から自己紹介、近況報告をいただいた。
次回は平成26年11月15日(土)(11月第3土曜日)に開催の予定です。
懇談では、9月にJICAシニアボランティアから帰国された河村正人さんからのアフリカの農業について報告をいただいた。瀬棚中学校で英検の学習に通って勉強されたそうです。
ウガンダは1200mの高地にあり、ビクトリア湖の横に位置し緑がすばらしいところである。住民はきちんと畑を作る事をしないがそれでも自給自足ができている。
20年前に内戦があり殺し合いもあり、生活は日本の戦後間もない状況に近い。木が大変堅く棚を作ろうとしてもネジが入らない。40分かけてネジを買いに出かけたがマイナスネジしか売っていない。1粒1円の飴を配ったら何人も人が集まるようになった。子供たちの夢は2円もって飴玉を買いにいくことである。日本の100円が10倍の価値がある。足がひび割れている子もいるので長靴がほしい。魚の釣り方、食品加工、生野菜をつくる指導がしたい。
1000人の小学校では14歳の割合が50%(日本では13%)。野菜を作るようになったが食べ方を知らない。ウガンダ人に仕事を与えたいと考えている。子供7~8人の家族のうち、2~3人は孤児。内戦で親が死んだため引き取ったことによる。私は腕が腫れる病気になったので一時帰国したが再び出掛けて今年の9月に帰国した。私の後任は韓国のボランティアのコイカ氏が引き継いでいる。(文責 事務局 安藤 廣)
本学農食環境学群 循環農学類は、4月からの毎週金曜日9時00分~10時30分、本学C5号館202教室にて、「実践酪農学(前期講義)」を行っています。この講義では、様々なスタイルで酪農を営む酪農家を特別講師にお招きしています。
7月26日(金)は、酪農学園短期大学9期卒業、酪農学園大学1期卒業、瀬棚町の元酪農家、西川求氏が「私が酪農学園で学び、開拓に入り、同じ志を持つ仲間が増えて2代目に引き継がれるまで」と題し、開拓時代の体験談を話しました。
はじめに、干場信司学長から講師の紹介があり「西川氏は、非農家として果敢にチャレンジし、北海道の中でも貧困の地に新規就農として入った方です。みなさんが想像する、今の新規就農とまったく違います。建学原論そのものを人生通して実行された方だと思っていますので、そのチャレンジをどんなふうにやってきたのか、どんなふうに考えてきたのかをみなさんに聞いてほしいと思います」と話しました。
■西川氏の講義■
西川氏は、「わたしは18歳のときに酪農と出会ってから酪農に取りつかれたように過ごし、1968年に新規開拓者として道南の瀬棚町に入りました。三愛精神を持って、なんとか村を活性化しようという思いでいました。たくさんの人が失敗した地域でしたが、大変そうだという思いよりも大学で学んだことを実践してみたかったのです。
わたしは静岡出身で父は公務員。18歳まで酪農のことはまったく知らずに育ちました。特にチャレンジ精神もなく、鉄道員に憧れていました。毎日切符を切り、いろいろな人と出会える仕事が自分に向いていると思っていたのです。山形県の小国町にある基督教独立学園高等学校に進学し、修学旅行ではじめて北海道の浜中町へ行き、そこで開拓実習がありました。
当時の北海道のイメージは「原始林、開拓、湖、熊」でしたが、そういうところに行ってみよう!と楽しみにしていました。開拓実習に入ったところは、ホルスタインとジャージー2頭、子牛1頭という小さな酪農家で、原野は荒れ果て、隣の家は3kmも4kmも離れていました。1週間の実習では、長さ1m8cm、刃渡り60cmのカマで草を刈りました。仕事がものすごくきつかったので、”仕事も生活も大変、酪農家になって将来に夢を持てるのだろうか、酪農家に生まれなくてよかった”と思いました。
しかし、修学旅行から帰ってきて1週間後、ふと浜中町でのことが蘇ってきて「ああいうところで酪農をやってみたい」と思い、昭和33年に酪農学園大学短期大学部へ入学、酪農学園大学へ編入しました。
大学を卒業してから機農高校の教員として働いていたとき、恵まれない地域があるので開拓に入らないかという情報が入り、”その地を三愛精神で活性化しよう!仲間と三愛家畜センターをつくって地域の方と酪農業を高め合おう”と思い、先生を辞めて行くことを決断しました。
実際、開拓に入ると地域の方からは、わざわざ先生を辞めて農村にやってくるなんて、きっと悪いことをして辞めてきた人に違いない。大学を出て酪農家になるなんておかしいなどと思われました。昔は、家が代々酪農業をしているので子どもの頃から手伝いをしながら仕事を身に付けた方がほとんどでしたので、わたしのような人はかなり珍しかったのだと思います。
開拓に入るのは並大抵なことではありませんでした。計画をしても計画通りにはいかず、酪農経営とは別なことでも予想外なことが次から次に起こりましたし、現場でも今まで大学で学んでいないことがたくさんありました。牛のことについてはもちろんのこと、農機具は馬を使っていたので馬そりや馬車についてや、水が出ないときの井戸や貯水の活用方法など、農村に入ってからたくさん教わりました。
そして、当時はユンボなどの重機はありませんので、すべて手作業で橋などを作りました。情報が入らなければ大学と結びついてなんとか情報をもらい、仲間と三愛塾で学び続けました。都会からきた農業を知らない青年たちが、一生懸命やっているのだから“自分たちも負けない”という地域の方の思いが、瀬棚町にいる牛飼いたちの発展につながったのだとも思っています。
わたしはどんなときでも、三愛精神に基づき、自分の生き方を酪農業という標準に合わせて本当によく頑張りました。わたしの座右の銘は「それでもなお」です。自分がくじけそうになったとき、辛くなったとき、牛を売らなければならなくなったとき、「それでもなお、自分が決めたことだからやりとげなければならない」と心に誓っていました。
50年を経て、開拓地はみどりになりました。大変なこともたくさんありましたが、一緒に新規開拓した青年たちと夢を持って活動していましたし、酪農経営だけではなく家庭の中での豊かさを一番に考えていました。現在、酪農業は息子が引き継いでいます。
今、活躍しているわたしたちの次の世代には、スローライフや有機農業などが受け継がれていってほしいと思っています。「大型化しよう」が今の日本の流れですが、そうすると農家の個数が減ってしまいます。面積が少なくてもそれを活かす方法はありますし、人が増えることが地域の活性化となります。自分たちが食べていくことができれば代々に引き継がれるものだと思います。みなさんにも酪農を通して地域の活性化を目指してもらいたい。10頭や20頭の牛で酪農をしている人もたくさんいますので、ぜひ現場をみにきてください」と学生たちにメッセージを送りました。