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掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.13

1971(昭和46)年 三愛女子高等学校 校歌制定
 1971年1月23日、宮古校長着任依頼、胸に温め続けられていた課題で、生徒からも待望されていた校歌が発表されました。
 歌詞は、三愛女子高等学校の建学精神を盛り込み、緑なす原始林にいただかれ、石狩の野に地をしめてたつ本校のイメージのものとなりました。作曲は本校元音楽教諭太田和男氏が担当しました。

    三愛女子高等学校校歌

Texte alternatif


      作詞: 宮古哲雄 作曲:太田和男  

  1. 空 遥か わが石狩は 美し(うまし)くに 
    乳蜜(みつ)流る 原始林(もり)の丘辺に
    鳴り響む(とよむ) 啓示(さとし)の鐘は 
    ぬば玉の 闇を放ちて 開かばや 真理の秘帳
    (とばり)ああ 三愛 わが学び舎に 光あれ
 
  2. 光 充つ 学びの園は 女の城
    咲き匂う わが友垣の 常(とこ)聖き 高き理想(おもい)は
    三つの愛 堅く結びて 祈らばや 永遠(とわ)の平和を
    ああ 三愛 わが学び舎に 恵みあれ
 
  3. 生くる日よ 義(ただ)しくぞあれ いや崇(たか)く
    若き日は 日々に新し 地の塩の みことば秘めて
    青雲の 虹をいだきて つくらばや 新しき世紀(き)を
    ああ 三愛 わが学び舎に 栄えあれ

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.12   

1964(昭和39)年 酪農学園大学酪農学部獣医学科開設
 1960年頃になると国内の酪農は急速に発展し、酪農家戸数、使用頭数が増加し、農村での獣医師が不足、その養成が急務となりました。
 こうしたなか、学園理事会は、文部省に対し、「農業機構の改善にともなう酪農振興政策によって乳牛頭数が急増しているにもかかわらず、この酪農にかかわる獣医師が不足しており、酪農民より獣医師の養成が要請されている現況にあって、本大学に獣医学科を増設することは国の農業政策にこたえるものである。」旨の協議書を提出しました。
 こうして、1964年獣医学科が開設されました。
黒澤園長は、「真に酪農民のことを考え、苦労多く経済的に恵まれなくても、農村で活躍する信念ある獣医師を教育養成することは学園の使命である」と考えられたそうです。

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.11 

1962(昭和37)年 酪農学園大学酪農学部農業経済学科開設
 大学における酪農の諸科学は、従来生産技術的側面からの研究を主流として推し進められてきましたが、これに社会科学的側面からの研究・教育を加えようと農業経済学科が発足しました。
 農業基本法成立の中、新しい農業指導者を養成する学科として、社会的な注目の中でスタートしました。
 右写真の皆が手にしているのは、計算機です。懐かしい~!!

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.10 

  1960(昭和35)年 酪農学園女子高等学校から三愛女子高等学校へ校名変更
  酪農学園女子高等学校開校後まもなく関係者の間で、普通課程の高等学校で「酪農学園」がついたのでは、農業課程の学校と誤解されやすいので校名の変更要望が高まりました。
 学園では理事会や職員会議で検討するとともに、生徒より校名募集を行うなどした結果「三愛」が学園の建学精神にも一致して、女子高校の名称にもふさわしいとして、1960年「三愛女子高等学校」と改名しました。
 1962年に体育館、1963年に礼拝堂が完成し、その年の12月には、礼拝堂献堂式と開校5周年記念式典、同時にNHK交響楽団を招いてのクリスマス記念音楽会が催されました。

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.9

1960(昭和35)年 酪農学園大学 誕生!酪農学部酪農学科設置

 昭和35年1月大学設置が認可されて、わが国初の酪農学部を置く酪農学園大学が誕生。短期大学学長であった樋浦誠氏を学長に選任し、180名の学生でのスタートとなりました。
 キリスト教の精神によって人間教育を行い酪農の科学並びに実際を教育し以て神を愛し人を愛し土を愛する三愛の精神に徹する有為な酪農人及び指導者を養成することを目的とし、とかく理論学習偏重になりがちな大学教育に対し、実学教育を尊重し、理論と実際が一致する教育・研究の場を設けるように心がけられました。
 開校当初は校舎、施設等に不備な点が多かったのですが、年毎に教師陣も強化され、講義も拡大し、また、第一校舎をはじめ多くの施設も拡充されました。

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.8   

1958(昭和33)年 酪農学園女子高等学校開学
 昭和30年代に入り、江別市の人口急増と女子の高等学校進学希望者の増加によって普通課程の女子高校設置が要望されました。酪農学園は地域住民の要望にこたえるとともに、長年考えていた女子教育の実践に踏み切り、酪農学園女子高等学校を開学しました。
 人間教育の基礎をキリスト教におき、神、人、土を愛する三愛精神によって、正しい人生観、公正な世界観のもと、真理と平和を希求する人格を養い、社会と家庭において使命を自覚して活躍する女性の育成をはかることを、教育理念としました。

       


    讃美歌453番 「きけや愛の言葉を」

Texte alternatif


         作曲: Colin Sterne  作詞:Henry Ernest Nichol      
    1.聞けや愛の言葉を 諸国人らの  
  罪とがを除く 主の御言葉を 主の御言葉を
  *(おりかえし)
    やがて時は来たらん 神のみ光の
    あまねく世を照らす 明日は来たらん
 2.見よや救いの君を 世のため悩みて
  購いの道を 開きしイエスを
 *(おりかえし)
 3.うたえ声合わせて あめつちと共に
  よろこびにみつる さかえの歌を さかえの歌を
  *(おりかえし)
 開校当時、まだ校歌がなっかたので、賛美歌453「きけや愛の言葉」が校友歌として歌われていました。

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.7   

1952(昭和27)年 酪農讃歌の誕生

キリスト教界の元老で明治から昭和にかけてキリスト教的贖罪(イエス‐キリストが人類のために十字架にかかって、世の罪をあがない、神と人との和解を成就したこと。)の実践として、さまざまな社会事業、社会運動に力をそそいだ賀川豊彦氏の来校を機会に校歌の作詞を依頼し、子息賀川純基が作曲を担当し讃歌「酪農興国」が誕生しました。現在、酪農讃歌と略称し、大学、短大の重要行事に歌われています。

                                    酪 農 讃 歌

Texte alternatif

 
                               作詞:賀川豊彦 作曲:賀川純基              

1.黒土よ 緑なす草 身につけて
  地上を飾る日の本に(原詩は野幌に)
  牛追う若人はぐくめよ
    窮乏の底に沈める国興せ
    乳房持つ神 我と共なり
 2.はらからよ 手に手をとりて 村守り
  弱きを助け 貧しきを
  いたわるために 勇み立て
    窮乏の底に沈める国興せ
 乳房持つ神 我と共なり
 3.み光に めぐみはつきず つまずく日
  倒るる時も 見捨てずに
  我をはげます神の愛
    窮乏の底に沈める国興せ
    乳房持つ神 我と共なり

Texte alternatif

2000年の11月に記念事業で来校された賀川純基氏によりますと、歌詞のなかにある「乳房持つ神」とは、聖書に中に書かれている乳と蜜の流れる地。という聖句から、恵みを与えることのできる神という意味ではないかとのことでした。

 

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.6

1950(昭和25)年 三愛塾の開講
 樋浦学長主導の下に、大学の農村への開放が始まり、その教育活動の一環として、1951(昭和25)年8月から、夏、冬の休暇時を利用して三愛塾を開き、三愛精神による新しい村づくり運動を展開しました。
 この塾では男女、年齢を問わず、新農村の建設に熱意のある者が入塾し、期間は2週間で、講師には短大の教師や牧師、農村の指導者が当たりました。
 後に、三愛塾参加者による友の会が組織され、全国的にその輪が広がり支部もでき、1964(昭和39)年の樋浦学長の退任までつづけられました

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.5

1949(昭和24)年 酪農学園大学部 開学
1950(昭和25)年 酪農学園短期大学酪農科 開学
 1949(昭和24)年に2年制の各種学校酪農学園大学部を発足、翌年、これを改編し、新学制にもとづく短期大学を設置しました。
 初代学長に樋浦誠氏をむかえ、三愛精神をもって実学教育を展開し、農場や乳製品工場を教育の場として、実験・実習を展開しました。
 校舎の改築も樋浦学長の陣頭指揮で学生自らのてによって行われ、学校や学生寮では、聖書に基づく人間形成が図られました。
「酪農学園」の誕生、
 1949(昭和24)年それまで財団法人興農義塾野幌機農学校だった名称を財団法人酪農学園と改称し、ここに酪農学園が誕生!!
 「本法人は学校教育法に則り、キリスト教の精神に基き、神を愛し、人を愛し、土を愛する有意なる農業人を養成することを目的とする」と明示し、名実ともに三愛精神もって、本学園の教育理念としました。
 「学生寮」
 遠隔地からの入学者が多かったため、全寮制とし、ダビデ寮、ヤコブ寮、マルコ寮、マタイ寮、ヨハネ寮、ペテロ寮を設けました。これらの寮は自治寮で教師との接触も多く、樋浦学長と、一晩中語り明かした学生達も数多くいたそうです。

 工場実習は、江別市緑町の乳製品工場において乳製品の製造、加工の研究、実験、実習が行われていました。工場は、1962(昭和37)年に売却され代って学園内に乳製品実習室が設置されました。

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.4

 1948(昭和23)年 野幌高等酪農学校開校
 野幌機農学校内に通信教育酪農科を発足したところ、入学希望者が1,200名にも及んだため、通信教育専門の野幌高等酪農学校を設置することになり、通信教育と集合教育を組み合わせた、酪農科と家庭科(修業年限は2年)を設置しました。  1960(昭和35)年には道内40、府県120の分校を配置し、翌年には修業年限3年の酪農経営研究科を増設、1964(昭和39)年には、校名を酪農学園短期大学酪農学校と改めました。1991(平成3)年の閉校までに、9万人に及ぶ卒業生を輩出しました。閉校後は、酪農学園大学に設置されたエクステンションセンターにおいて、より高度なレベルで社会のニーズに応えてゆくことになりました。
    「酪農科」では、毎月教科書「酪農講座」と補助教科書「酪農技術講座」を配布、本校で開講する集合教育と組み合わせての教育でした。また、希望者は江別市元野幌、苫小牧市植苗、機農学校の各農場で実習を行いました。「家庭科」は  農村家庭の主婦や子女を対象に食品の調理献立、作法、育児、衛生など家庭経営に関する教科書や図書を配布し、通信教育を実施しました。補助教材として発行していた月刊「酪農の学校」誌は、後に「近代酪農」となり全国的に普及、1989(平成元)年に「酪農ジャーナル」と改題し、現在に至っています。

酪農学園同窓会(2011.12.13)|

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