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2011の記事一覧

掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.6

1950(昭和25)年 三愛塾の開講
 樋浦学長主導の下に、大学の農村への開放が始まり、その教育活動の一環として、1951(昭和25)年8月から、夏、冬の休暇時を利用して三愛塾を開き、三愛精神による新しい村づくり運動を展開しました。
 この塾では男女、年齢を問わず、新農村の建設に熱意のある者が入塾し、期間は2週間で、講師には短大の教師や牧師、農村の指導者が当たりました。
 後に、三愛塾参加者による友の会が組織され、全国的にその輪が広がり支部もでき、1964(昭和39)年の樋浦学長の退任までつづけられました

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.5

1949(昭和24)年 酪農学園大学部 開学
1950(昭和25)年 酪農学園短期大学酪農科 開学
 1949(昭和24)年に2年制の各種学校酪農学園大学部を発足、翌年、これを改編し、新学制にもとづく短期大学を設置しました。
 初代学長に樋浦誠氏をむかえ、三愛精神をもって実学教育を展開し、農場や乳製品工場を教育の場として、実験・実習を展開しました。
 校舎の改築も樋浦学長の陣頭指揮で学生自らのてによって行われ、学校や学生寮では、聖書に基づく人間形成が図られました。
「酪農学園」の誕生、
 1949(昭和24)年それまで財団法人興農義塾野幌機農学校だった名称を財団法人酪農学園と改称し、ここに酪農学園が誕生!!
 「本法人は学校教育法に則り、キリスト教の精神に基き、神を愛し、人を愛し、土を愛する有意なる農業人を養成することを目的とする」と明示し、名実ともに三愛精神もって、本学園の教育理念としました。
 「学生寮」
 遠隔地からの入学者が多かったため、全寮制とし、ダビデ寮、ヤコブ寮、マルコ寮、マタイ寮、ヨハネ寮、ペテロ寮を設けました。これらの寮は自治寮で教師との接触も多く、樋浦学長と、一晩中語り明かした学生達も数多くいたそうです。

 工場実習は、江別市緑町の乳製品工場において乳製品の製造、加工の研究、実験、実習が行われていました。工場は、1962(昭和37)年に売却され代って学園内に乳製品実習室が設置されました。

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.4

 1948(昭和23)年 野幌高等酪農学校開校
 野幌機農学校内に通信教育酪農科を発足したところ、入学希望者が1,200名にも及んだため、通信教育専門の野幌高等酪農学校を設置することになり、通信教育と集合教育を組み合わせた、酪農科と家庭科(修業年限は2年)を設置しました。  1960(昭和35)年には道内40、府県120の分校を配置し、翌年には修業年限3年の酪農経営研究科を増設、1964(昭和39)年には、校名を酪農学園短期大学酪農学校と改めました。1991(平成3)年の閉校までに、9万人に及ぶ卒業生を輩出しました。閉校後は、酪農学園大学に設置されたエクステンションセンターにおいて、より高度なレベルで社会のニーズに応えてゆくことになりました。
    「酪農科」では、毎月教科書「酪農講座」と補助教科書「酪農技術講座」を配布、本校で開講する集合教育と組み合わせての教育でした。また、希望者は江別市元野幌、苫小牧市植苗、機農学校の各農場で実習を行いました。「家庭科」は  農村家庭の主婦や子女を対象に食品の調理献立、作法、育児、衛生など家庭経営に関する教科書や図書を配布し、通信教育を実施しました。補助教材として発行していた月刊「酪農の学校」誌は、後に「近代酪農」となり全国的に普及、1989(平成元)年に「酪農ジャーナル」と改題し、現在に至っています。

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.3

1946(昭和21)年 教育指導理念をキリスト教に置く

Texte alternatif

 終戦とともに皇道を基調とした教育理念が崩壊したことで、教育の精神教育の支柱を敗戦のどん底から酪農により復興したデンマークの老牧師グルンドビーに習い、本校教育と農村再建の精神的なよりどころをキリスト教におくこととしました。
 グルンドビーは、「神を愛し、人を愛し、土を愛する」三愛精神によって青年教育をしデンマークを世界に冠たる酪農王国へと導きました。
 本校は、キリスト教による精神的教育を柱として「健土建民」を基調とした三愛精神を教育理念として今日にいたっています。
 聖書のことば
「彼らは剣を打ち直して鋤(すき)とし、槍を打ち直して鎌(かま)とする。国は国に向かって剣をを上げず、もはや戦うことを学ばない。」(イザヤ書2章4節)
 
 「神を愛し、人を愛し、土を愛する」の意味は、
 「神を愛す」とは、神からの愛に応える「応答としての信仰」。
 「人を愛す」とは、自分に好意を寄せる者を愛する愛ではなく、聖書が教えているように敵をも愛すること
 「土を愛する」とは、人類の母体である土、母なる大地に心血を注ぎ、これをゆたかにすること
 つまり、土の働きを生かすこと                                   
 そして、これが「健土建民」の思想、さらに循環農法の基本となっているんですね!
                                                            

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.2

1942(昭和17)年 野幌機農学校開校
 酪農義塾は、日華事変の影響を受けその継続が困難となってしまいました。
 そのような状況下で黒澤氏ら酪農義塾関係者は、3年制甲種農業学校を設置し、特色ある農業教育を実施しようよと考えました。
 「教室の代りに、各農場に農具、家畜などを配置し、教師も生徒も農場寮に宿泊。実学教育により品位ある農場魂と農業経営を会得した実力ある指導者の育成を目指す。」
 こうして財団法人興農義塾野幌機農学校が、江別市野幌に開校しました。
 
  「機農」の意味は、
 単に農業の機械化の意味ではなく、「機は天機の機で、農業は天地人の合作協和によって成り立ち天地の運行によって生ずる」つまり、 農業は天地人の合作調和によって成り立ち、自然の機微を悟り機会を正しくつかむこと、それは体験を通してはじめて会得できる。という意味です。
 実学教育を展開するため、1年生は集合寮に、2,3年生はそれぞれの経営農場に付属した寮に分宿、寮には寮長が家族とともに住んで生活と農業の指導にあたりました。
  農地が重粘土の悪質土壌だったため                   
  土地改良の暗渠(あんきょ)堀りは1952年まで続いたそうです。大変な苦労だったのですね!
                                
                      
1943年8月校歌制定 作詩:黒澤酉蔵(橘文七加筆) 作曲:小松耕輔
 校 歌

Texte alternatif


  1. 手稲の嶺の雪清く    緑綾なす原始林
    身を興農に捧げんと   燃ゆる希望を抱きつつ
    集う機農の旗の下    ああ光栄あれその行途

  2. 勤労の汗尊しや     農はみ国の基にして
    又健民の泉なれ     農村荒れて何処にか
    国の栄を求むべき    使命は重し ああ我ら

  3. 千幸万苦先人の     遺烈かぐわし北の海
    試練の波は高くとも   真燈の心 鉄の腕
    天地と人と一体の    農の真髄悟ばや

  4. 平和の日かげ身に亨けて 振うも嬉し聖の鍬
    普遍の誠広き愛      科学の翼とりそえて
    真農道をまっしぐら    重き使命を果さなん

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.13

酪農学園思い出紀行 NO.1

1933(昭和8)年 北海道酪農義塾を設置
 創設者黒澤酉蔵は、「北方農業の確定を実現するためには、北海道をデンマーク並の酪農国にする」ことを提唱。 農民自身の魂と腕を鍛え、中堅指導者を養成するために札幌村苗穂の北海道製酪販売組合連合会(通称・酪連、現在の雪印乳業の前身)工場敷地内に北海道酪農義塾を設立しました。
    当時提唱されていた農民道5則は、
    第1.農民は誠そのものたれ 
    第2.農民は天地の経綸に従え 
    第3.農民は土を愛せよ 
    第4.農民は勤労を尊び倹約を守れ 
    第5.農民は協力一致せよ  でした。   
   厳しい時代を反映していますね!

  
 

酪農学園同窓会(2011.12.13)|
掲載日:2011.12.12

緑風会平成23年度(第6回)総会・懇談会(1月11日)のご案内

 師走の候、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。日頃より、本会活動の推進にご理解とご協力をいただき厚くお礼申し上げます。
この度、本会活動の充実と会員の交流、並びに母校酪農学園との情報交換を図るため、下記のとおり、平成23年度酪農学園「緑風会」総会・懇談会を開催することになりました。
 つきましては、時節柄ご多忙のところ恐縮ですが、ご出席くださいますようご案内いたします。
 なお、出欠のご回答は、別紙により支部連絡員をとおして支部長が集約し、事務局へ報告願います。
                      記
1 開催日  平成24年 1月11日(水) 18:00~20:30
2 会 場  札幌中村屋旅館 中央区北3条西7丁目(北大植物園正門前)
3 会 費  5,000円
4 時 程
  17:30~ 受 付
  18:00~ 総 会 ・平成23年度役員承認
・平成23年度事業及び会計報告
・平成24年度事業計画案
・その他
  18:30~ 懇談会  ・酪農学園の現況
               ・会員相互の情報交換
               ・その他
 5 出席回答  別紙により12月21日(水)迄 支部長へお願いします。
6 問い合わせ・連絡先 酪農学園「緑風会」事務局長 干場敏博
              TEL  011-388-4842
              FAX  011-388-4842
              e-mail  t-hoshi@rakuno.ac.jp

 

酪農学園同窓会(2011.12.12)|
掲載日:2011.12.12

「山下正亮先生ご夫妻と語る夕べ」水戸で開催

 獣医学科元教授・山下正亮先生は10年前に水戸市に転居され97歳(1月2日で満98歳)とご高齢ですが、とてもお元気に暮らしておられます。同窓生が集うと、山下先生とお会いしたいという声が多かったことから、12月4日午後6時から2時間、水戸市のホテルで山下正亮先生ご夫妻を囲んで、長寿をお祝いし歓談のひとときを過ごしました。1期生から11期生まで案内したところ、北は別海町、南は鹿児島まで46名の同窓生が集い、先生のお元気なことと記憶の明瞭なことに驚かされながら、懐かしい思い出話と、先生の最近の話題とで話のつきない楽しいひとときを過ごすことができました。
会場に到着した先生は、1人1人参加者の名前を呼んで握手を交わされ近況を尋ねられました。恩師に名前を覚えていてもらえたことは教え子にとって何よりも嬉しく、感激での幕開けとなりました。ご挨拶も、ご高齢者になると延々と続く長い挨拶が多くなりますが、簡潔で要領を得たご挨拶をしていただきました。
 花束贈呈、乾杯の後、よみうりタウンニュース水戸・県央版に掲載された記事「97歳写真家上達中」をご紹介頂き、先生と奥様のご自慢の写真を液晶プロジェクターで投影しご披露いただきました。また、先生の戦前・戦後の思い出の写真もご披露いただきましたが、学生時代の馬術大会優勝の写真は誇らしげににこやかにお話しされるのですが、戦時中の話しになると語気を強くされ、辛さを物語っているのだろうと推測されました。
その後、テーブルごとに近況を報告し合い、終えた頃には閉会の時刻となり、全員肩を組み酪農讃歌を声高らかに合唱し、先生ご夫妻の益々のご健康をお祈りし、再会を約束して去りがたい会場を後にいたしました。(文責 加藤清雄)

酪農学園同窓会(2011.12.12)|
掲載日:2011.12.09

酪農学園同窓会連合会中国地区支部長会議開催報告

去る12月7日(水)12時より15時まで、三次ワイナリー(広島県三次市)を会場にして、中国地区会長候補者選出のための支部長会を開催した。出席者は 山口県支部支部長 山口久光氏、広島県支部支部長 温泉川寛明氏、岡山県支部長代理 立原英夫氏、島根県 加瀬部一倫(オブザーバー)氏 コーディネーター 広島県 高蓋和朗氏の5名
1.地区会長選任についての会則改正検討(案)説明
2.島根県・鳥取県支部設立について協力をお願い
3.地区会長候補者の選任について
 3県支部長の合意として高蓋和朗氏を地区会長候補者に選任することとなった。
 島根県・鳥取県の支部設立については、島根県(加瀬部氏)、鳥取県(中原聰君)(獣1974年卒)に同窓会連合会支部設立の動きをお願いすることとした。中国地区もバックアップを惜しまないつもりである。
会食しながらそれぞれの仕事のことについて語り、仕事でも協力しましょうという話も出、和気あいあいの内に終了した。

酪農学園同窓会(2011.12.09)|
掲載日:2011.12.08

111209アグリビジネス創出フェア_展示映像.wmv

酪農学園同窓会(2011.12.08)|

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