獣医学科5期生卒業43周年同期会が倉敷市で開催
獣医学科5期生(S.47年卒)卒業43周年同期会が去る10月23日に岡山県倉敷市のホテル日航倉敷において、全国から27名の参加のもと開催されました。
40周年以降、区切りの良い年に大学に戻ることにし、それ以外は同期生が在住する地域で毎年開催することにしており、今回は43周年だったので鳥越秀二氏が動物病院を開業している岡山県倉敷市で開催しました。22日はゴルフコンペと前夜祭、23日はゴルフコンペとメインの宴会を行いました。24・25日は兵庫県在住の酒井博邦氏ご夫妻のお世話で四国、淡路島観光を行いました。高松市で讃岐うどんを味わい、その後栗林公園で庭園を楽しみ、さらに観光船で鳴門の渦潮を堪能し、大鳴門橋を経由して淡路島へ渡り3日目の宴会を楽しみました。
来年は今井克幸氏と高橋正志氏が在住する秋田で、8月末に開催される大曲市の花火大会に合わせて44周年同期会を開催することを決定し、来年の再会を期して散会しました。
とわの森三愛高校酪農経営科17期生クラス会開催報告
去る10月26日(日)午後6時から、札幌市内のアパホテルすすきの駅西を会場にして、高校からは八木啓太先生をお迎えして、2008年度に卒業したとわの森三愛高校酪農経営科17期のクラス会が20名の出席者で開催されました。
当日は久しぶりの再会で、楽しい時間を過ごす事が出来ました。子供を連れて参加していた人もおり、お互いの近況を報告し合って、和やかな中にも大変盛り上がりました。
最後は次回の幹事を決めて、名残惜しく解散しました。(幹事 畑中俊樹、中澤愛希)
15期(通称いちご会)の卒後30周年同期会開催報告
2年前くらいのある日、同期の岩見沢市で開業している佐藤清和君となんとなく
「もう、30年だね」
「うん・・・」
「やるかい、今度は幹事2人で・・・」(いつも協力してくれるK君は奥に住まわれて・・・)
「だね。30年だから少し豪勢にやるかい?」
「うん、やるしかないな!」
ということで、人気ホテルのこととて1年前には予約ゲット。
「いちご会」は平成26年9月26日(金)午後6時、JRタワーホテル日航札幌で開催しました。
先生9名を合わせて総勢70名の大宴会。よくぞこの出席率!ありがとう!
30年も経つと顔と名前が一致しないこともありますが、容姿が変わっても段々と分かってくるものです。基本的に声や性格は変わりませんからね。
大勢の出席者でしたが、やはり先生も含めて近況を聞きたいもので、研究室毎に一人1、2分のつもりでひな壇にてスピーチをお願いしましたが、つもる話もあり大幅にオーバーしました。それはそれでよし。
2時間半なんてあっという間でした。締めはやっぱり「酪農賛歌」。肩組んで歌えば昔にもどる、不思議な魔法です。二次会も同じホテル内に設定したので学生はほとんど欠けることなく参加してくれました。皆さんから幹事にねぎらいの言葉も頂き「感激」です。ほんとうに準備が行き届かなくて。受付を手伝ってくれた三木君、岡本真平君ありがとう!
翌日は30名弱でしたが大学病院見学を中出先生、菊池先生にお願いしました。忙しい中ありがとうございました。当日は大学収穫祭ということで食堂にて無料のカレーをごちそうになれました。その後は三々五々解散となりましたが、再開を約束したのは言うまでもありません。40周年も「元気」で会いましょう!
獣医学科8期生卒業40周年記念同期会の開催報告
大学の近隣に住居を構える同期生が中心になって、3回程度新札幌の居酒屋などに集まって色々と打ち合わせをするほか、メールや電話で連絡とりあいながら準備を進め、2014年10月18日に札幌ガーデンパレス(札幌市中央区北1条西6丁目)で獣医学科8期生(1975年(昭和50年)卒業)の卒業40周年記念同期会を開催しました。
日頃の行いが良いせいもあり当日はまずまずの天気に恵まれたなか、阿部先生(解剖)、湯浅先生(生化学)のご出席をいただき、遠くは熊本、山口、鳥取からも含めて同期生25名(内2名は奥様同伴)の参加がありました。受付の近くに来るまで「はて、誰やら?」と衰えた視力で目を凝らしていたものが声を交わして間近に見れば懐かしい顔で、いつの間にか学生時代と変わらない雰囲気となり、皆、60歳を超えた初老の男女ですが近況報告等を交えながらの楽しいひと時となりました。また、二次会、三次会、N次会・・の豪の者もいたようですが、無事、帰路についてもらえました。
次回は5年後に大阪で開催することを約束して終えましたが、皆が元気に参加できるよう、また、さらに多くの同期生と会えるのを期待したいと思います。(世話代表 野上良邦)
獣医学科3期生同期会開催報告
今年の同期会は、愛知県担当で名鉄犬山ホテルに於いて行ないました。
台風18号の影響で開催が危ぶまれましたが、当日の10月7日(火曜日)は台風一過の好天に恵まれ無事開催の運びとなりました。各自到着前に国宝犬山城・茶室如庵見学、城下町観光、ゴルフ等と楽しまれた様子。
チェックイン後各部屋でくつろぎ、温泉につかり、夕方6:30、ホテル前より屋形船に乗り、ライトアップされた犬山城を眺めながら夕暮れに映える木曽川をしばし遊覧し、そしてお目当の篝火を焚きながら「狩下り」をする幻想的な鵜飼を間近で堪能しました。
午後8時より同期会宴を中村和男の司会進行のもと、これまでに他界した同期生に黙祷、千葉昭弘氏の乾杯のご発声で幕を開け 和気あいあいのうちに進み、恒例の各自近況報告を行いました。その後、来年同期会の福岡開催を確認、再来年は和歌山での開催を決めた頃には早10時前となり、また来年の再会を約し、そして「最後の一人になるまで毎年の同期会開催を!! 」と気勢を上げ、記念撮影をして、1次会を終わりました。
場所を談話室に移し、全員参加で2次会となりましたがこの頃にはそろそろ半世紀に近づいた学生時代の喜怒哀楽の昔話に花が咲き、あっと言う間に午前様、今年の同期会も幕引き、皆、安らかな眠りについたことでしょう。
今回、参加者の談話にも、欠席者の便りにも体調に対する不安が影を落とし、総勢17名と参加者が少なかった事が残念でしたが、健康を維持、回復し、来年多くの友と再会できることを願って筆をおきます。(文責 中村 和男)
野幌機農高等学校第10期(1954年卒業)の集いが開催された
酪農学園 野幌機農高等学校第10期(1954年卒業)は平成26年10月22日18:00~23日9:00、ホテル花もみじで同期会を開催した。
卒業後60年の節目になるが、さすが当時の馬力のある元気な面影とは変わっているような気がする。今から6年前に同期会はこれで最後にしようとのことであったが、今年になって卒業60年の節目に、もう一度開催したいとの意見があり、この度の開催となった。
開催案内は6年前と同じメンバーの45名に出したが16名の出席、欠席者はほとんど体調が悪いとのことである。然し、出席者で元気なのは北見から自分で車を運転してきた兵もいる。
総じて、年齢が80歳ともなれば身体の方も下り坂、思い残しが無いよう精一杯、楽しく生きようや。たわいもない会話がはずみ、楽しい時間を過ごした。誰かが、この次はいつ皆で会おうか?と言ったら、それは来年よ!全員が拍手。今回の事務局が一瞬、顔を見合した。しかし、事務局をやるとすれば、札幌在住者しかいない。
残り少ないであろう余生、高校時代、共に苦労に耐えながら、一緒の釜の飯を食べたのが、今も忘れられない。その仲間とこのようにして逢って、思い出話ができるのが、たまらなく楽しい。せめて集まれる体のうちは是非集まりたい。札幌在住者には事務局をお願いする事になるが、出来る限りの協力をするので、日程、場所、等を決めて連絡をくれ。と半ば強引に決められた。
「楽しかった」「また来年逢える」の余韻を残し、夫々が帰路に就いたが、この齢になっての同期会、終わってみたら以前とは違った、どこか寂しさも残るものである。一方事務局をやらなければならない札幌勢にとっては、重い負担を背負うことになった。(文責 紺野 勝歳)
酪農学園野幌機農高等学校
農業科第15期生・農村経済科第1期同期会開催報告
平成26年9月10日(水)~11日(木)札幌市定山渓温泉「定山渓ビューホテル」にて開催されました。
同期会は農業科主催であったが昨年の14回「温根湯温泉」から農村経済科も合流して開催しております。
昭和34年3月卒業後、夫々の道を歩みながら早いもので、55年の年月が経ちました。懐かしい顔21名が道内各地と本州の福島、岩手、東京から参加致しました。
開会は、発起人代表の挨拶に始まり、又他界した恩師である津田敏雄先生、井上錦次先生そして仲間23名の冥福を祈り、乾杯の音頭へと続き宴を開始した。参加者の近況報告を含め自己紹介を致し和やかな歓談となりました。
話題の中心は入学当初の機農寮での思い出話等で盛り上がり、時間の経つのを忘れ歓談が続き2次会へと続きました。
母校は大きく変遷し、今は「とわの森三愛高等学校」の「機農コース」に引き継がれ現在に至っております。卒業生としては一抹の寂しさを感じるとの話題も・・・・。それでも皆学園の発展を願って閉会となりました。
次回は旭川地区が当番で行う予定であったが、岩手県出身の栗澤氏の急遽の提案で、3.11東日本大震災復興に微力ながらの協力の意味を含め、岩手県釜石での開催を要望いたし参加者全員で変更決定しました。
11日(木)は思わぬ[大雨特別警報]に北海道札幌市、千歳市、苫小牧市が見舞われ、帰途の交通手段を心配しながらそれぞれ帰途につきました。 (文責 新谷良一)
獣医学科第26期生20周年同期会開催報告
9月13日、獣医学科第26期生、20周年同窓会がガトーキングダム札幌にて(私たちが学生の時は「札幌テルメ」でしたね。)行われました。
卒業して10年、そしてさらに10年こんなに時が過ぎて、みんな遠く離れたところでそれぞれの体験、苦難、子育てなどを乗り越え、たくさんの成長と変化を身につけたはずなのに、本当にあの時のまま!!いつもの職場のスタッフや嫁さんよりも、会った瞬間から、何だか安心感?理解者のような不思議な感覚でした。また、学生のときは気が付かなかった親しい「におい」を感じる人がいて「別のところで同じような苦労を生きて来た?」って心の中で聞いてみたり。人を感じる楽しい同窓会でした。皆さんありがとうございました。
次の日は鮮やかな紅葉の中、大雪の白雲岳に登り北海道を満喫して、いつもの仕事に帰っていきました。
場所も時間も遠く離れてしまったG、Hの昔の学生たちが集う同窓会がまとまるためには、還暦を迎えられた梅原さんをはじめ、西村さん、伊藤さん幹事の皆さんの大変なお仕事の下、本当に感謝です。過去を懐かしむ余裕もないほどに、今の仕事を精一杯頑張っている同窓生の方々もおられます。私も不安だらけのお手伝いさんを組み合わせ仕事を任せて参加しましたが、本当に会えて良かった時間でした。30周年も皆さん誘い合って、感動を共にお会いできることを願っています。また10年楽しく頑張りましょう。(文責 26期 高嶺一司 )
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平成26年8月30日(土)に『昭和42年入学及び昭和46年卒業、 酪農学園大学農業経済学科同窓会』を札幌市で開催しました。
4年前の平成22年に卒業後初めてで40年目にして初めての同窓会を開催してから4年振りの開催となりました。
今回は殆どの人が65歳という節目の年に当たることから、前回同様に“入学年が別、卒業年が別という人々でも昭和42年入学から昭和46年卒業までの4年の間で一時でも席を共にして過ごした人々”に呼びかけを行い、計画を進めました。
中には参加したいけれども体調不良により欠席するという人が数名いましたが、16名の参加申し込みがあったことから開催の運びとなりました。
今回はお世話になったゼミの先生方にも案内させて頂き、三島徳三先生に参加して頂くことができました(大高全洋先生は当初ご夫婦で参加の予定でしたが、奥様の体調不良により急遽欠席となりました)。
4年ぶり2回目の開催であったため、前回ほどの緊張感は無く和やかな雰囲気の中で会が進み、また今回初めて参加した人も徐々に打ち解けて話が弾み、予定した時間は瞬く間に経過し閉会の時間となってしまいました。
次回の開催は未定ですが、近いうちの再開を約束して卒業後2回目となる同窓会は締めくくりとなりました。 (文責・請川)
酪農7期知床連山縦走記
9月1日から2泊3日で知床連山を縦走して来た。メンバーは酪農7期の加瀬(江別在住)、大西(真狩在住)、加藤(東京在住)、城近(埼玉在住)の4人に、酪農17期の門田ガイド、加えて西田ガイド、それに急遽現地にて加わったN嬢、A嬢の計8人。
きっかけは、10年前、突如山登りに目醒め爾来月1回のペースで登山している加瀬が、2年前知床の斜里岳登山の折泊った山小屋の主人が門田宜久さん。話しているうちに酪大の後輩と分かり、再会を約したとのこと。
今回、加瀬が企画立案を数人に声をかけ、我々3人が応じた。門田ガイドは若い頃米国ヨセミテ公園でクライマーとして活躍した実力派、西田ガイドはTVの百名山撮影時にガイドとして参加した寡黙にして俊敏なる好青年。私を除く3人は海外の山々も一緒に登山をした経験を有し、私は初デビュー。
N嬢は昨年八丈島、今年知床、来年はどこでアルバイトするかわからない、さすらいの30代。A嬢は知床財団でネイチャーガイドとして勤務しているしっかり者の女性。
初日は快晴。幸先のよさを感じさせる朝であった。岩尾別温泉を6時スタート。門田ガイドは我々の年齢と実力を推し量るように、ゆったりとした歩みで進み、気遣いの声をかける。山道を5時間歩き、沢を登り、羅臼平に到着。重いリュックを置いて、岩がゴロゴロして歩きづらい斜面に挑み羅臼岳頂上(1661m)を目指す。約1時間緊張を要するアタック後、溶岩ドーム状の頂上に立つことが出来た。
陽はまさに天にあり、眺望を遮るものはなし。左右にオホーツク海を望み、はるかに国後(くなしり)が海に浮かぶ。
眼下には知床の青い山なみ、知床五湖も静かなたたずまいを見せていた。満足感に浸り、天候に感謝して羅臼岳に別れを告げ、もとの羅臼平に戻る。リュックを背負い今日の宿泊地三ツ峰キャンプ場に向う。重い足どりで16時頃到着。ガイド2人の手際の良さに目を見張らされた。すぐにお湯を沸かしコーヒーを入れ、低地にたまっている水を持参の浄水器にて飲み水に変え、テントを張る。そして夕食の用意をする。食後、海の見える場所に移動し、陽が雲を染め海の色を映して没する瞬間を、8人並んで嬉々として魅入った。
キャンプ場には熊が食べ物の匂いに引き寄せられぬようステンレス製のフォードストッカーなるものが置かれていた。初めて見る装置だった。疲れの為か7時過ぎにはテントに入り就寝。4人用テントに4人は当たり前だが、実に窮屈、お互い我慢と気遣いのテント泊であった。
2日目も快晴。6時スタート。連山を形成するサシル岳、オッカバケ岳とアップダウンを繰返し、尾根に出た。そろりそろりと慎重に足を運び、二ツ池の縁をめぐり、更に南岳、知丹別岳と登っては降りるという苦行にも似た縦走を重ねた。ここで私にアクシデント発生。何と登山靴の底が左右とも剥がれてしまった。ガイドさんがダストテープを巻くという機転の効いた応急処置をしてくれた。何度かテープを巻き直し下山終了までもったのは実に助かった。ガイドさんの指摘で体温調整の為、ウインドブレーカーを着たり脱いだり、又ストックの使い方の指導、リュックの締め方の指導を受け、いまだ雪渓の残る道をも進み、あえぎながらも二日目の宿泊地である硫黄山第一火口キャンプ場に到着した。雪が溶けた水が豊富で、平らで広いキャンプ場であり、今日は我々の力でテントを張ることが出来た。間近に硫黄山を見上げる場所で今日も7時過ぎに寝たがロマンチスト加瀬は一人起きだし、満天の星を、息をころして眺め、震える感動を覚えたとのこと。残る3人はテントの中で眠っていた。この夜の気温は零度を下回ったに違いない。朝起きた時、雪渓が凍っていた。
3日目の朝も快晴であった。門田ガイドの話では長いガイド歴の中でも3日連続の快晴は奇跡に近いとのこと。まさに僥倖、日頃の行いの良さが反映されたとの思いが深まった。
硫黄山はその名の通り火山噴火で硫黄が噴出し固まった山。色彩は黄色を呈し強い臭いが鼻につく峻嶮を誇る山であった。道は火山灰で覆われ、滑り易く歩きづらい。慎重の上にも慎重を重ねて足を運び、時に恐怖を覚え、汗を拭きつつ登攀した。山頂から知床連山はやせ馬の背のように見え、今日も左右に漁船が白波をたてて進むオホーツク海が青く、空に続いていた。知床五湖も国後(くなしり)もくっきり見える。一寸となじみの風景となった感がある。
人は高い所に立つと写真を撮るものに違いない。今日も皆で写真を撮り合い、喜びをカメラに残した。達成感がじわっと滲み出る。それからの下りはとても長く感じられた。
はい松が行手をふさぐ狭い道。しかも木の根が張り出し石がゴロゴロしている悪路をひたすら歩く。体温が高くなり確実に地上に近いことが感じられる。見渡すと樹海の中を歩いている。カラ沢の中を歩いている。6時に出発し、13時過ぎに無事下山。67才の夏は歓喜のうちに終了した。 晴天に感謝。仲間に感謝 (完)
(文責 酪農7期 城近 泰)(写真 酪農17期 門田 宜久)